書店に行くと安っぽい挑発が繁茂している。三流の活字を並べたて、ありがたくもない自己実現の群れの中で砂金を探すつもりで背表紙を眺める。
元行員いわく、突然銀行をやめた先輩がご自分で執筆された経済書をある日営業所に現れ、何冊か売りに来られたそうだ。当然、突っ返すべきところだったが付き合いがあった手前一週間預かり回覧したが買い手がつかず、全て御返ししたそうな。
このつまらんエピソードは妙に残り、書店に積まれている書籍の多くがもの悲しく見えるようになった。
悲しい書籍の中で砂金を探すメソッドが人にはいくらかある。なんらかの信頼を拠り所とした方法だ。だが本を選ぶ動機は好奇心で構わない。消耗する時間を前に信頼できるソースを探していてはゾンビ映画は発見できぬ。信頼のない世界、金を貸す行員にはいささか難しすぎただろうか。信頼が支配する世の中は金融が作っている。

久しぶりに病にかかる。聞けばウイルス性で抗生物質と解熱剤を処方される。身体によいものを食わねばと思い、毎日はちみつを食べるようになった。せっせとびんから蜂蜜を取り出しながらクマのプーさんを思い出す。中学の頃、夏休みの読書感想文でひねくれた思いからクマのプーさんを選択し、もっとちゃんとした本にしなさいと言われたかったのだが、大賞を頂いてしまった。毛むくじゃらの生き物が蜂蜜を手で食べると、食後のベタベタをどうしているのか未だに気になっている。クマのペロリは、きっとかなりきめ細やかにペロリとでき、まるで車のワイパーのように蜂蜜を取り出せるに違いないと言うのが現在の私の到達点である。

もはや更新されなくなって忘れ去られたブログを見るたびに
情報にも墓場があるとの思いを強める。
当のブログ主は既に新しい形式の情報発信へと移ってしまっているとしても
そのブログの持つ表情は依然として、静止した主のままである。
私はその止まってしまったかに見える情報上のその人物は
新たな端末によって更新されつづけるその人物から見捨てられたようで悲しみを覚える。


ホームページにしろ、クラウド技術によってアップされたデータにしろ、
もはや使用されていないが、情報的な意味でのアイデンティティを残したまま、それらのデータはただ漂っている。
ブログなどで言えば、バナーが巣食っている状態は屍に蠅が集っているようにもクモの巣が張っているようにも見える。
ただ、その屍の山を歩く事ができたなら、山の中から親密な笑顔を振りまく写真などが鮮やかに拾い出せるに違いない。


中東の人間はFBが大好きなようで、毎日毎日くだらんことをアップしてくるが
やめてくださいとも言えず、難儀している。

掛川市庁舎、日建設計は林昌二による仕事
RCとメンバーを絞ったスティールのコントラストをガラスで梱包したような構成で、建築的ハイライトのリズムがハンドリングされている。詳細はメカニックなディテールでスティールはペアコラムにすることで線材を細くしている。回廊がスティールで組まれ、桟がたてられている。それぞれの材料と向き合いながら形が作られた熱気に満ちた建築になっている。


谷口吉生による資生堂アートミュージアム
上品というよりは、やや嫌味な印象を持ち、いつもの高級感が出ていないように思えた。新幹線からいつも眺めていた本館が思いのほか小さく感じられた。小山によって建築を隠しているアプローチとS字平面の周遊が連続するような構成となっている。なだらかな曲線にシャープな直線が対比的に表れている。


さてコントラストは、どういう場所で用いられると有効なのだろうか。
対比をつくる垂線は求心的になるため、掛川のようなうら寂しい地方都市には有効だということなのだろうか。それにしてもピンボケしている。

島の夜は、私のような余所者にはなかなかつらい。ニイザトが歓楽街と言われるエリアだが実態はカラオケばかりである。それくらいしか楽しくねーのさとでも言わんばかりだ。平良港から引き上げた漁師たちが心を休める場所としてできたようだが貫禄のあるご婦人とカラオケをして楽しむ程には私はまだ出来上がっちゃいないようだ。やはり通りには間抜けな歌声が漏れている。ナポリの夜もそうだったが海のある街は浪花節で俗っぽさに溺れたくでもなるのだろうか。
仕方なしにBARで泡盛を頂いていると島のバーテンも暇と見えて私に誰かに話したことのあるだろう話をしてくる。バーテンは垢抜けのしない女で器量は今ひとつだが健康そうだ。いわく、島の人間は島を出られない者を、ありゃ、島を一歩も出んかったなどと言う具合に言い続けるようだ。外を知らんでなにが悪いか、と言えば、そりゃお兄さんは島の者の気持わかりっこねーさー。などと言う。閉鎖的な村ならぬ島社会に幽閉された若人たちは一度島を出たはいいが大半は戻ってくるようだ。それを見て、島の呪いから解き放たれぬことを嘆いているかのようだ。呪いとはよく出来たもんで背中にジュージカ背負ってると自分で思い込み身体が動かんようになっていくさよ。

島はすでに初夏の香りがする。本島にはいくらか見応えある建築があるが、こちらは海とさとうきび畑しかない。
那覇にてスタジオジブリ展を周回遅れで見た。制作現場の生命感が漲っている。密林のようだ。わしわしとツタが生い茂るような感じは、アーツアンドクラフツの巣窟、レッドハウスを訪れた時を思い出させる。
楽しくて仕方がないというような仕事ぶりを見せられる人物でありたいものだ