もはや更新されなくなって忘れ去られたブログを見るたびに
情報にも墓場があるとの思いを強める。
当のブログ主は既に新しい形式の情報発信へと移ってしまっているとしても
そのブログの持つ表情は依然として、静止した主のままである。
私はその止まってしまったかに見える情報上のその人物は
新たな端末によって更新されつづけるその人物から見捨てられたようで悲しみを覚える。


ホームページにしろ、クラウド技術によってアップされたデータにしろ、
もはや使用されていないが、情報的な意味でのアイデンティティを残したまま、それらのデータはただ漂っている。
ブログなどで言えば、バナーが巣食っている状態は屍に蠅が集っているようにもクモの巣が張っているようにも見える。
ただ、その屍の山を歩く事ができたなら、山の中から親密な笑顔を振りまく写真などが鮮やかに拾い出せるに違いない。


中東の人間はFBが大好きなようで、毎日毎日くだらんことをアップしてくるが
やめてくださいとも言えず、難儀している。