最近、引越しをした。60の手習いならぬ、30の一人暮らしである。今、必要なのは静けさだと思い、決意したが隣人が五月蝿く、なかなか参っている。中東にいた時もほとんど野営で暮らすような生活だったので、東京の快適さに舞うような気分である。

さて、今日は医療建築フォーラムに参加した。この類の〔アカデミック〕な集いは主催側のエゴにも思えるが、行った甲斐はあった。医師やれ、サラリーマン建築家やれ、看護師やれが何やら制度に悪態をついて、難しい顔をしている。質問のある方いらっしゃいますか、シーン。日本風景によく見られる静寂。あの静けさは中々好きだ。既成権力に対する宣戦布告と行った挑発的な気分なのかもしれない。

日本の公共事業のプロポーザルでは、提案者の実績が強い制限となり、出てくるアイデアは実質、どれも同じだ、とし、小さな事務所らの軽快な案のほうが時に制度や会社の柵から解放された良案となることもあるのではと思うとした。実施する力が色んな意味でない、行政は嫌がる。そこを変えなくては行けないのでは?との指摘があった。友人とアアルトの仕事を訪れたとき、村役場の提案を見て、出来たものは鋭くモダニズムだが、そのシンプルで素朴な提案書にじわりときた。



本当の意味で頭を使わなくなり、七年後にせまる年寄りの夢をなすり付けられる我々は、果たして一人暮らしを出来ているのだろうか。仕事もほとんどが政治家頼みの腐敗した世界を知るにつけ、なんとも歯痒い。