友人から教えてもらったコンペの前年度の入賞作を見ていると、マイナースペースを拡げ、これまでどこかに収容されていたものがそこに現れることで新しい場所性が生まれるという趣旨のものがいくらかあった。20世紀のマイノリティが既存の中央権力を破壊していこうという姿勢は、パラダイムシフトを説明したがるもので、前はあれで今はこれ。iPhoneは文字が打ちにくいので寝よう。

昔、論理学の欠点は論理学自身を説明できないことにあると言った人がいた。ツリー構造というのはフォルダ作成で発生するパスを連想する。階層が増えれば増える程アドレスしにくくなる。組織構造そのものだ

またツリー内で参照がループすることを嫌う性質がある。クラス分けが明確にされなければ、それが何者か記述できないからだ。都市はツリーではない?古い話が未だに解決されない。野生の再発見からずいぶん時間が経つけど新しい知性のあり方は今どこにあるのでしょう。読書を怠りがちでは見えなそうだ

二川幸夫氏が撮影に来られた際に、建築なんざヤメトケ。食えねえぞ。と楽しそうに仰っていた。青臭い若者に話してくれた、若き磯崎新との話がまた面白かった。駆け出しの頃の磯崎にひょんなきっかけで仕事の依頼が舞い込む。だがクライアントは日本の怖い組の人で、ビビる磯崎、二川お前もいっしょに話聞きに行ってくれないかと言われ、しょうがねえから付いていってやったとか。組員らに囲まれながら、真っ白な着物を纏った組長と話をしに行ったのだそうだ。

若き巨人たちの情けないびびりっぷりがなんとも笑えた。ご冥福を御祈り致しております。

島にいると文字を書きたくなるものなのだろうか、これは新しい発見かもしれん。iPhoneから駄文を連ねてみることにする。

今日はナースステーションの運用説明を看護士らと受けながら、まじまじと細部を眺めた。コスト制約の高い現場はまるで工業製品見本市のようで細部がない。病院はトラウマを利用した機能主義が強く蔓延る。ここは生きるための場所でもあるが死を迎えるかもしれない場所でもあり、こんな見本市でプラスターボードを眺めながらご臨終では浮かばれない。

都落ち宮古入り
サンゴでつくったアクセサリーを売る店がオープンしていた。初日で店員さんの気合いが伝わります。漕ぎ出した、行くしかねんだ、あたいらは。肩で風を切って行く迫力にいいね。
山中千尋に再びはまる。天才ピアニストと言う人生を選択できる人がいる。選択したくても、多くは自分の下着しか洗濯できぬが。
ベルトルッチにカラックスが東京なら見れるというのに、

明日からまた島だ。この季節の沖縄は天国と言うに相応しい。象設計集団はなぜあそこに仕事をいっぱい持っていたのだろう。機械空調を使わない建築、果たしてどこまでやってるのかしらんが本島も行くので楽しみだ。