電車、駅、コーヒー屋と至るところにいる読書する人々は、ただ時間が流れるのを待っているように見える。死ぬのを待っているような不気味さがある。永遠のオブザーバーの途方もない哀しみと言おうか。
仕事柄か、シンクタンクの連中と時折接する。彼らは知性で仕事をしていることになるが、発言の全てが2次資料の暗唱に思える。言葉が溢れ、そのネチネチしたしつこい言葉は不要な読書の結末と思える。それだけ調べたにも関わらず、てめえは何も行動しようとしていないその姿にヘドが出る。


一方、税金で営なまれる団体の言葉も重い。その市場から締め出された精神性から編み出す言葉の羅列にこれまた淀みを感じる。貨幣の川に放り出され、その淀みのなさに身が浄められる。


光熱費の算出は、生きることを貨幣化するようで思いのほか楽しさを感じる。