Claude Nicolas Ledouxの仕事である、Arc-et-Senansの王立製塩所を訪れた。
この建築家はエミールカウフマンの仕事により知られるようになり、
また後期20世紀によく、パノプティコンなどと引用された。
革命建築などと銘打たれる時、安保闘争期の時代精神と共鳴し、
たびたび召還されたのだろうかとも想像してみたい。


「良識」あるアーキテクトの群れに憤りを感じ、こうした「キテレツ」な建築が引用される。
勝者の側に居たがる硬直化した姿勢を一掃するかのような
荒唐無稽な造形がこの建築家の一連の仕事にはあり、
まるで良識を計るために踏み絵をせまって来るような、そんな訪問だった。


パリに働く友人とオペラ座で落ち合い、我々はロマンティシズムのデザインは教われど、
ラディカルな思想を持ちえている人はどれだけいるかを話す。
ルネサンスを目指した、挫折した人文主義者は、引きつった表情でミケランジェロを指差す。


オスカーニーマイヤーが亡くなったニュースが流れるテレビで、
ルーブル分館の特集が組まれている。
便宜的なモデルだったニーマイヤーを切り離し、大気圏を抜ける建築家を想像する。
私達も飛ばせてくれるモデルを選択する必要があるかもしれない。