中等教育で使う歴史の教科書を開けば太字で大事な言葉が強調され、
蛍光ペンか何かでそれをなぞれば、勉強していることにできた。
次々と放り出される固有名詞、今思えば、
肉の卸売りのように、次々と人名や憲法、戦争といった名前が
市場で競り落とされていくかのようだった。そのスピード感の中でそれぞれをうまくつなぎ合わせることもできぬまま、成人となってしまった。おそらく子供ができ、彼らの教科書を親が読み返すことで教養レベルの歴史をようやく市民は頭にインストールできるのではと想像する。


何かを参照しながら書いている訳でも、もともと正確な知識を持ち合わせているわけでもないことは予め断っておくが。ちょうど「東インド会社」といった、なんともひねりのない名前を考えたもんだ、それゆえか妙に斬新な響きがあったとも記憶しているが、が登場してくるあたりに、西欧からアジアへ香辛料を求めて貿易が展開されるといった説明に出くわす。鼻を垂らしていただけの当時、香辛料およびコショウの文字を、カノッサの屈辱、豊臣の刀狩り同様、生真面目にマーキングして「理解」していたが今、こうした食に制限のある環境で香辛料、とくにコショウが持つその魅力を思い知っている次第である。西欧人の東への衝動をもたらすものは、やはりコショウでなければならず、これがコンニャクやトコロテンでは今ひとつしまらないのだと膝を打つ次第である。


フラットな味覚の救済者、コショウは今の私のヒーローなのである。

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

私を最高の読者にさせてくれる作家。うまいこというな。


愉快な冒頭が、読書ってあなたがやってる通りのことだよと言ってくれる。同じ姿勢で読んでいるとくたびれるので中座して違う椅子に座って読み始めたり、右手で頭を支えながら読んでいたかと思うと、左手に頭を持ち直したり、足を伸ばしてみたり曲げてみたり。ベッドで横たわりながら読んでいるとどうもページが暗いなと思って座って読み続けたり。残りのページがどれくらいあるのかを確かめたり、しおりが落ちたのに気づいて拾ったり、そんな読書を描写した箇所は、笑わずにはいられない。


名犬 ラッシー [DVD]

名犬 ラッシー [DVD]

ヨークシャーの貧しい一家。父親の失業に伴い、とうとう飼い犬のラッシーを手放すことに。ところがラッシーはもらわれていった先から逃げだし、懐いていた少年の下校時刻になると校門までお迎えに行ってしまう。その後も何度か脱走するがヨークシャーよりずっと北のスコットランドで送られることで一家はラッシーをあきらめた。するとその気の遠くなるような距離をやはり脱走しラッシーは勇敢にも戻ろうとするのである!これだけ読むと、名犬どころか、ただの脱走常習犯のようだが。


驚いたことにラッシーは雌で品がよく賢いお嬢様なのだそうだ。コリー犬というのだろうか、確かに知性や美しさすら感じる。この意表をつくような面白さ。よせばいいのに、きっとわざわざ、険しいところでこの犬もキャメラの前で名演技をしていたのだろう。しかし私もこんな名犬に朝起こされたいと思わずにはいられない名作。