実は長い間、私用のPCをメンテナンスに出していた。
ようやく、治って帰って来た。修理にきちんとお金をかけられる人に私はなりたいのだ。
あと2年くらいはこのマシンで乗り切りたい。


コンピュータに限らず、機械はモデルチェンジを繰り返し、
性能を進化させながら、そのフォルムを新しい感性を織り交ぜながら、洗練させて行く。
しかし、どんなマシンであれ、それは電話でもいいし、オーディオでもいいし、
トースターであっても炊飯器であっても、新しいものが常に優れたデザイン、優れた存在である訳ではない。
これは不思議なことだが、当然のことのようにも思える。


また、アップルがボディにアルミやチタンを採用したとしても、そのアルミはバックミンスターフラーが採用したアルミと物理的特性にいたっては、かわることはなく、どれだけ賢いアプリケーションが駆動しようとも、
プロダクトに要求される強度を維持する中で
最先端の文化的感度で研ぎ澄まされていくアルミのボディは最終的にはその自身の身体の重さに耐え切れず、歪んだり、たわんだりしていくのだ。そこがおもしろい。よく見ればいい、アップルのノートはたわんでいる。


トルコの建築家が描いて来たパースは上品なコンピューターグラフィックスで表現されているが、
現場で再現されるそれは、建材の見本市の感が強い。
デザインはものの重さやその機械的特性、割れたらどうなるのか、熱したらどうなるのか、
乾燥する前の匂いはどんななのか、どうやって運ぶのかといったマテリアルが保持するキャリアをどう嘘無く漂白できるかでイリュージョンが持つ意味合いが違う。