金井は凡庸を悪のようにして小説家を描いたが、
今読み始めた本には凡庸な悪は恐れるべきものだと書いている。
ぼんよーってのは、よくわらかんが、考えないで生きている状態のことだとしてみよう。


そうだな、読書をしてむつかしいことを考えるよりもっとほかになにかあるだろうと思ってやりはじめたことの大半は凡庸かもしれない。私みたいに飯を食って運動したり、歯を一本一本磨いてみたりと。



でも考えることの危険は一方ではちゃんとあると思う。だから適当に形而上学的なことから距離をとったり、言語学的なことにいちいちつまづいてたら前に進めないので適度に考えないように暮らしている。つまりほどよく凡庸を摂取して暮らしている。そんな均衡を保った状態もある角度から見れば悪として移るだろう。


手紙の最初の書き出しで、どんなことを書いてくるかで、この人とはもう少しお話したいなと感じたりする。そんなささやかな言葉の選択が迫害といった大げさなことと地続きにあることにひやりとする。