友人が手を動かしているのが
ブログを通じて伝わってくると、
少し、一日が嬉しい気持ちになる。心が軽くなると言えばいいか。
「ば、かだねぇ」とおいちゃんこと、松村達雄は言った。
愛に満ちたこの物言いが救済なのだ。

さて、マントヴァからヴェローナへ向かい、
カルロ・スカルパによるカステルベッキオとポポラーレ銀行を見にいく。ここも川沿いに発展した街なのだろう。ゆっくりとした時間が流れているようだった。

ああ、やってるやってる、というにんまりとした気持ちと
同時に、「ば、かだねぇ」と言いたくなる。
ま、「それをいっちゃあおしめぇよ」と言われかねないのだが
愛をもって見つめたくなる。

空間やれイズムやれの、政治的言動から抜け落ち、例えばテクトニックと言えば捕まえられるかというと、私には分からない。
あまりに直裁な細部への関心からスカルパを捉えるのは場違いとの警報がなる。仕方なく、ファインダー越しに細部を見れば見る程に、ああこれじゃないなと、手応えのなさを残してシャッターが切られる。

象嵌細工のような、といったら「おしめぇ」なのだろうと思いつつ、
半ば「いたしかたなく」スケッチをこころみ、成仏してくれよとの思いで手帳を閉じる。
やりすぎ、こねくりまわし、現場との距離が零のような建築があることで
きっと誰かしらは救済されるのだろうと思う。


重力の都 (新潮文庫)

重力の都 (新潮文庫)

熊野と、題した写真集があった。
なにを大マジメに撮影しているのだろうと、まじまじと見た。
ああ、中上健次かと気づいたのは、それから大分たってからだ。