マントヴァへ向かう。
川に面した古都といった感じで、天気もよく気持ちがよかった。
髪の毛がうっとしかったのですが、髪を切るお店が見つからず
人のよさそうな老夫婦がやっている帽子屋で帽子を一つ手に入れる。

「ベスボォルキャップ」「スィ」「グラッツィエ」とのやり取りが軽快で
気分がよかった。老夫婦は日本は今大変だねと言ってくれる。
外国人が昨今の災厄についてしゃべるとき、earthquakeやnuclear hazardよりtsunami
まず表現する。
そんな一大事にオマエは何しに、着たんだと言われているような気持ちがし、沈黙。


複雑な心境で街をふらつきながら、出て来たのがアルベルティじゃどうしようもないだろう。と
言い聞かせる
強烈な図形が、分厚い時間を経過してボロボロになっている様子に
圧倒されるままだった。幾何学は風化しても幾何学なんだなあ、とひとりごちる。


パラッツォ・デル・テが少し南にあるようだ。
どうやらこれは「テの家」という意味らしい。変な名前だが、しかたあるまい。
ああ、これは記憶にあるぞ、とシメシメといった気持ちで見る。
妙なことをこの建築家ジュリオ・ロマーノはやっているようだ。
マニエリスム期の象徴的な建築として
ある建築家がフューチャーしていたのがこれだったような気がする。
思っていたよりは小さい建築だった。


パラッツォ・ドゥカーレはヴェネツィアのそれとは別で何個かイタリアにはあるらしく
その一つがここにもある。
あんまり色々書くのもしんどいので、これでマントヴァは終わり。