建築基準法がまた改正されるようだ。
姉歯事件以後、基準法が厳しくなり、申請手続き等に時間がかかるようになった。
この事が建設業界の不況に拍車をかけているということでの見直しということ。


ヤンバダム計画中止で公共事業費の削減。
姉歯同様、特定の固有名詞を持ち出してそれを事件や問題として形式化している。
これは、まるで病気のようなものである。病名が与えられることでようやく問題解決?
政治家は難しい仕事なんだろうな。


羽田空港ハブ計画の推進による成田空港の客足が心配されている。
羽田でいけるようになれば、成田など誰もいかなくなる。
この地方を苦しめている政策の代わりなのだろうか、郵政民営化をまた代えるとか。


今、JALが危ないとかいう。貿易の自由化が背景になるのだろうか。
価格競争の末、現在のように定期的に行けるような金額になった。
でも国内の企業を国が守ろうとすれば、関税を高くしたり外資が中々国内でやれないような土壌を整えるのではないか。
資源の少ない日本はどうやってこの危機を突破するのか。
そもそも国内の企業を守ろうする根拠はなんだろうか。国内外が意識されるようになると、概念としての国境が浮かび上がってくる。
軋轢にならなければ、良いが。


広島や長崎を経験した世代が高齢になっており、核兵器への強いトラウマが少しずつ弱くなっているように思う。
アメリカ大統領のノーベル平和賞、広島長崎オリンピックのようなものが生まれている。
視覚化、形式化のタイミングとしては、なにか不可解な部分もある。


中央が弱い。地方の疲弊と同時にそんな状況があるように思える。
そういう社会背景を見ていると、強いモダニズムを目指す傾向はアナクロに見える。
もはやソフィスティケーションですらないのではないか。
富や勝ち、中央、権力の感覚がどこにあるのだろう。僕にとって富を感じる瞬間がどこにあるのか。


そんな中イチローは打ち続けている。
私たちはイチローが200本打てなくなる日をどこかで期待している。
彼が打てなくなった時、私たちはイチローにモデルを見出さなくなるのかもな。