製図を進行。
グラフィックの感度を徹底的に上げて行くことが大事だ。


自分たちの世代はなんでこう横の繋がりがないのだろうか。
とか思いつつ、自分だけかもと思う。
相手から刺激を求めるのは良くないなあと反省。
自分が相手に刺激を与えられるように動きたいものだ。


弾力性がある人というのは、常に反応できる脚力を持った人だと思う。
どーおもう?と言っても、場合によるとか一概には言えないという発言をする人は
多分、批判を未然に防ぎたいために、弾力に乏しくなっている。
間違うことに開き直るのもどうかと思うけど、投げたボールが弾むことが肝心なのだと思う。


自分が絶対だと思っている人は、純粋であるゆえにぶつかりやすい。
でもぶつかって弾けることのほうがおもしろいはずだ。


問題を自分に見出し、それを改善するまでは、何も言えない。
すなわち結果がなければ、何も言ってはいけないのだという心理。
弾むことが、新しい運動状態を作るんだと思うのに、応答すらしない。
これはいつのまにか、自分もそうなっているかもしれないな。


http://www.yokomori.co.jp/kaidanyogo/yougo-a.htm

夜煙草を吸いながら、ブラブラ近所を歩く。こういうのが結構たのしい。
打ちっぱなしゴルフ場の構造体を見ながら、相変わらず、おもしろいと思う。
当たり前なのだが、建築がいっぱい建っている。
街を歩いていておもしろいと思うのは、気取ってない鉄骨階段である。
ここで支持しているのかとフムフムと勉強になる。


ささら下駄がさびまくっている階段を見ると
さびて今にも折れそうなのに、しっかりとしている。
風化しているのに、線は残っているのが中々いい。古代遺跡のようだ。
平屋がほとんどないので、一家に一つ階段があるということだ。
マンション住まいの僕には自分ちの階段という間隔が少しリッチに聴こえる。