今日はひたすら、製図であり、結構疲れる。
手書きなので、キレイに描けると快感である。
ペン先を回転させながら線を引くのが結構楽しい。


あんまり学生時代から図面が得意じゃなかったけど、たくさん描けば慣れてくる。
線を大切に描いていく、レイアウトを見ながら引いていくその感じは大切な精神を鍛えていた事を改めて実感する。
図面そのものより、紙面に対するレイアウトのほうが難しい。
君は線の使い分けがしっかりしていると教えに来ている建築家に言われてちょっと嬉しくなった。
と相変わらずおめでたい。まだまだ描くのが遅い。もっと速く描かねば。


ご存知かもしれないが
本試験は6時間半で平面、断面、梁伏図、計画概論(これが結構かかる)無論、エスキスの時間も必要だ。
エスキスで方針を立てるのに2時間半かかり、作図で3時間半、問題文読み取りと確認で30分の余裕を見ておくとするとあるようであんまりない。
とはいえ、A2サイズだし、1/200だし、貸しビルは複雑ではないので完成しない人は出ないと言われている。
法規、構造、設備、環境、バリアフリーなどいくつかの制限をクリアしていなければならないのだが
案外、簡単に描けるテクニックがあって、それをやってる分ではそれほどクリエーションはない。
だから一級もってるからといて、実践的とは言えない。むしろ仕事で覚えた図面のほうが価値はある。


模型同様、図面も才能というか、「手がいい」かどうかがある。
マメな奴は本当に狭心的に細かい。一切の汚れもない。
線も均一で、字もロボットのようにキレイだ。友人で言えばTFタイプだろうか。実に美しい。
逆に、まだ何もしてないのに、汁の跡がついていたり、よれていたり、鼻くそがついていたり端が折れてたり、おしっこの匂いがする人もいる。
汁はついてないけど、私も筆圧が強く、濃い図面になるので、注意しながらやらなければ。。苦手だ。
また一方で、あんまりキレイじゃないけど、とにかく速い人もすごい。
こういう人は立ち所にやるべきことが見えているのだろうし、構造化されているため、図面が何かを指示している迫力がある。
論理力の強い人はこういう図面なのではないか。私が憧れるのはこういうタイプの図面
業務的で、捨てても構わない感じがいいのだろう。弾力的でビルドアップの余地が開かれている。


英語の勉強を全くしていない。
んー、逃げてますね、これは完全に。


富岡多恵子集〈10〉エッセイ

富岡多恵子集〈10〉エッセイ

富岡多恵子 著

〈書く〉という行為 というエッセイを読んだ。


私のようなド素人のヘタレブログでもそれなりに
何かをだれかに伝えている可能性があり、
それは書かれることで成立している。


富岡は書くことと表現するということを分けている。
ここが新鮮だった。書かれたものは、私を伝えるよりももっとただ、
書かれていく自分とは無関係な感覚があるのかもしれん。


ボクによって書かれたものは、とてもボクらしい点ですごくウェットで嫌だなと思っていた。
ボクが書いたものには、生身のボク自身がすごく投影されている点で不潔とも言える。
文体とは自分とはもっとベツの書く主体の人格のようなもので、
その人格は、またそれをタイプする私とは赤の他人なのではないだろうか。


カリッとしたテクストを紡ぎ出せるようになれないのだろうか。
まだまだ、本当にまだまだ、難しいか。