新宿、東京モード学園コクーンタワーは嫌でも目につく。
やはり、大成建設代々木ゼミナール同様、教育産業の隆盛が感じられる。
大学院ももはや、そうした商業ビジネスの一貫でしかない。
六年生カリキュラムとは一杯くわされたのかもしれない。
私の友人はひねくれ者が多く、少なくともエレベーターで行く事やそのままストレートに行く事に関しては
直感的にそれをかわしている奴がまた多くおもしろい。馬鹿なんでしょう。野生の豹や虎、ネズミや蛇ばかりである。怖い怖い
そうした身体を育む大学は知の中枢としての役割を終えているのかもしれない。
建築界をガキ臭くしているのは、この教育に責任がある。
なんらかの専門知識よりも語学力のほうに傾倒する人が多いのも分かる。


フランス語なんかをやってる若奥様は一体なにをしたいのか。
ブクブクに太ったエセインテリはそのうち、ペダンティックに経済抑止力でしかなくなるかもしれない。
まさしく今の私のことだ。
仕事ができるというのは、危機感によって得られる野性ではないか。それくらい仕事は荒々しい。仕事をする動物。
一通り、勉強できたのは良かった。
次の進路には、自分を高められる場所と経済性の二つを重視して決めたいと考えている。
走り方を磨けなければ、体力がなければ、完走はできない。


そういう意味で組織の仕事を見て来たが、確かに日建設計は魅力的である。
林昌二という個性を輩出しているからかもしれないし、デザインがうまい。
松畑強などおもしろい人も出ている。
日本設計や竹中工務店は、建築家を輩出している。そういう意味でアトリエ志望なのであり、ジレンマ的だ。
まあ、超一流企業なのでそう簡単に入れるわけではないのもあるが
デザイン性のあまりよくないところで良い会社がいいかもしれないと思う。
少し小さめのほうが出世も早く、大きな仕事を動かせる可能性も高い。もう少し調べよう。


さてこのコクーンタワーのストラクチャーのメカニズムやプランを見ると案外単純な構成である。
コクーンタワーの足下に転がっている新手のサッカーボールは
エヴァンゲリオンに出てきそうな感じがする。
東京モードにこうした感性を忍ばせるのは、マーケティングによって得られたものだろうか。


スカイツリーの工事が進んでいるようである。基本構想に安藤忠雄、設計に日建設計、施工に大林組
なんかキナ臭いものだけど、デザインは凝ったものになりそうである。
どういう時代背景をもってこれが建設されるのかがよく分からない。
日本刀の反りと、柱のむくり、五重塔の心柱による耐震の考えを応用して伝統へ接続したデザインと謳っている。


五重塔の心柱による耐震はどうやら、古来からの技術ではないらしく、
江戸時代以降のものに限られていることが分かっていると坂本功は言う。
だから五重塔の耐震性は、心柱があるからではなく
部材の組み合わせ部によって地震力を吸収するのだといい、
もともと変形能力が高いから地震によって倒壊したことがないのだそうだ。


このスカイツリーの垂直部材が次々と断面を変形させていくものになるらしい。
とても楽しみな計画の一つである。日建設計に入社した友人はこれをやってたりするのだろうか。


カラー版 日本建築様式史

カラー版 日本建築様式史


太田博太郎 編集


図が多く、カラーであるため分かりやすいが、テクスト自体は太田が書いているわけではないので
あまりおもしろくなかった。


個人的には中谷礼仁のものがおもしろく、ひながたと全体による様式、スタイルの成立から見る建築は
現在にも色濃く映り込んでいる問題だと感じた。
こうして通史的に各時代の代表的な建築と様式、その背景を負っていると
重源の関わったものの迫力は図抜けている。
建築を学び始めたころに、ミースや東大寺南大門を見たが、スタンプラリーでしかなかった。
今一度、また見たい。


城郭建築が通史においては、据わりの悪さを感じる。まだよく分からんというのが実際のところなのか。
民家はちょっと触れられている程度ではあるが
やはり、私たちが通常民家だと思っているものは、地方の有力者の家であり、別段、庶民というような潔いものではないのだろう。


今度、京都へ行く機会があったら、宇治上神社を見たいと思った。
屋根の帝王だという話を先生から聞いたためだ。