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今日は偶然、川崎で知人と会った。
近況を伺い、仕事の状況や読んだ本などの話を聞く。
白井晟一を撮るとか雑誌の編集委員になったとか
そのまた知人は、体を壊したとか、大学の客員になったとか
仕事の話などを伺うと、面白そうなことをしている。
建築雑誌界にもいくつか派閥があるのだろう、
あいつはつまらないという風評などを聞いた。
ボクらの世代は、無視というコマンドを持っている。
アトピーみたいな窓を描く私たちはどうかしている。見るだけで痒くなってくる。
この世代の誠実さは、無視から作られている。
こうした無視はそれでもいつの世もあっただろうと思える。
それに気づき始めた時に、一歩時代は動いていくのではないだろうか。
須賀敦子のテクストに触れて、ウンベルト・サバという詩人に興味を持った。
この絵はボラッフィオという同じくイタリアの画家によるサバの肖像画である。
不勉強ながら、サバについては、名前は見たことがある程度で
どんな人物かも、どんな詩を書くのかも知らない。
ここでは、肖像に触れながら、この絵画を須賀が描写している箇所がある。
“・・・この年齢にしては、あたまがすっかり禿げあがっているが、表情は若い。
胸から上の肖像で、黒いビロードのような感じの上着に、ボヘミアンのような、やや大きめの蝶ネクタイをつけている。
サバのうしろは砂浜のようなあかるいオークル色の石畳で、
そのまたうしろ、青い海がはじまる辺りに、白い帆をたたんだヨットが一隻、陸に揚げてある。
紺碧の海の上部は、画面の約半分を占める青い空。海の色とサバの大きな眼とがほぼおなじ色に描いてあるが、
写真と違って、この絵のサバは、表情がはっきりしている。
なにか、思い迷っているかのように首を少し曲げ、それでも生来の誠実さがはっきり出ている。・・・”
須賀敦子全集 第一巻 (河出書房)
ミラノ 霧の風景
きらめく海のトリエステ P142 2行目より
絵画を記述する仕方は、たくさんあるとは思うけど、
こういう風なテクストに憧れがある。
- 作者: 須賀敦子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/10/05
- メディア: 文庫
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本書では、イタリアの戦後映画について触れている。
いくらか映画をまた見なくてはという気が湧いてくる。
フェリーニの映画で「断崖」というのがあるが
地形が映画や文学を引き寄せていることって結構あると思います。
もしかしたら、全てと言ってもいいかもしれない。
作品が線的なタイムラインを持つ映画や文学の背後に
ずっとその地形、もしくは都市があり続けていることって
その映画や文学を軽く超えているような魔力があります。
地形っていうか、ロケーションていうか、場を建築が主題とするときに
かなりダイレクトに形に翻訳されているのが、実は気になる。
まるで、無関係そうな強情なものであっても、場は必ず引き受けているように思えるからだとも思える。