ユルスナールの靴

ユルスナールの靴

須賀敦子 著


本書はユルスナールという20世紀フランスの作家の軌跡と
須賀の記憶を重ねながら記されている。
まだ、二章を読んだに過ぎないのだが
絵画、に関して彼女が書いている箇所がある。


それはレンブラントに関してのものだった。
あんな暗闇みたいな絵。と須賀はついて出た自分の言葉に驚いている。
とても、私には受け止められないわと、若かりし頃の須賀は言っている。


私はテートブリテン(だったと思うが)でレンブラントの水浴をする女を見たときの事を
思い出した。
壁にかけられたありがたい絵画を順繰りに眺めていくという絵画鑑賞の形式に私は疲れはじめていた。
体力を消耗し、少しずつ乱暴に見たことにしていた頃合いに
この画家の絵画の順番が廻ってきて、疲労感を感じながらも足が止まって
見たことにできない。と感じたことを思い出した。


疲労の微睡みの中で、柔らかく引きつけていく磁力を感じ
ずっと眺めていたことを本書で思い至った。
絵画を鑑賞することが、どうやればいいのかよくわからない。

須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)

須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)

須賀敦子 著


ミラノ 霧の風景に収められている、以下三点を読む。
「遠い霧の匂い」
「チェデルナのミラノ、私のミラノ」
「プロシュッティ先生のパスコリ」


タブッキやギンズブルグのものを読んだ時の美しい質感がここにもある。
心が冷たい風に洗われるような気持ちになる。
試験まで、彼女をひたすら読もう。


須賀敦子を読む

須賀敦子を読む

湯川豊 著


高貴さと同時に、たわいもなさを持ち合わせているように感じる須賀敦子
彼女のエッセイや翻訳は私もいくつか読む機会があった。
翻訳の美しいものを読んでいると自動的に彼女のものが集まっていたという感じで
須賀敦子という存在に気づいてから、彼女のエッセイも読むようになった。
本書をきっかけとして、また読みたくなった。


湯川が言うように
須賀のエッセイがたわいもなさを持ちながらも、しっかりとした論理的一貫性がある。
しっかりとした骨組みがあるので安心するのだ。


基礎をしっかりと作ってある事の大切さを感じ、痛み入る。
反省してそういう力のある人から謙虚に学ぼう。





MAと恵比寿で落ち合う。予定があると日中にメリハリがついて捗りますね。
ブラブラ近況を伺いながら、お店まで歩く。


正直にいえば、はて何を話したものやらと心配していた。
私たちにはまるで接点がなく、共通の時間など経験したことがないのであるから。
しかしながら、お互いの事を知らないというのは、いかに話題が多いことかと知った。
このセッティングは、交通事故をイメージした。
ある程度の負傷を負いながらもぶつかってみると相手のボディをペシャンコにできる代わりに
こちらも相当クラッシュする。


惑星と惑星がぶつかる感じが楽しく、
あまり接点のなかった輩とマンツーでお酒を傾けるのはかなりおもしろい。
中国大陸を出発した船がポルトガルに漂着したような感じだろうか。
カルチャーやフィギュアは、既に成立した軌道を描きながら安定している。
安定したものが突然、海を渡ってぶつかると伝来、進化が起きる。


映画においても、交通事故によって人物が強制的に接続されることがある。
全くことなる時間を持っていた人が、強烈な衝撃でぶつかるときに、
時間軸にある支障を着たし、それをまた修復していこうとする。


彼女にはなんらかの独創的な質感を感じる。
低音域にサディズムが感じられるため、さばけている。


紹介してくれたMSに感謝しつつ
すばらしい時間を過ごせた。なにに感謝するかって恵比寿にだろう。
恵比寿のホームから「第三の男」のテーマが滲んでいる。