携帯電話を落としてしまった。
定期的になくしてしまう。
鍵や財布はなくさないのに、ケータイだけはだめである。
一通り考えつくところを探し、警察や行った店などに連絡してみたが見つからない。
電話帳を全てなくしてしまった事になる。
こんなこともあろうかと思い、一部バックアップがあって良かった。


電話のやり取りで
「何をなくされましたか。」
「いつなくされましたか。」
「どちらでなくされましたか。」
「どちらの電話会社ですか。」
「メーカーはどちらですか。」
「何色ですか。」
「ストラップはついていますか。」
「待ち受け画面はなんですか。」
「電話番号を教えてください。」
「では、回線停止のお手続きに入らせて頂きます。」


こうやって特定されていく個人の所有物、個人そのものは社会のプロダクトなのだと感じる。
音声案内に従って、プッシュしていく。
このじれったさ、一方通行のコミュニケーションにイライラしながらも
ようやくオペレーターに接続できると、
マニュアル通りにしゃべるオペレーターが、噛んだときに、彼女の日常が一瞬垣間見える。



彼女は昨日と同じように、出勤し、席につくや否やケータイをなくしたという男から電話を受ける。
一日のはじまりである。
いつものように、与えられた問題を分解し、マニュアルに当てはめていく。
あたしはこの業務が気に入っている。問題は何も難しくはないのである。
複雑な図形を整頓し、最後にテトリス棒で消去してやればいいのである。


男はケータイが見つかるまで回線を止めたいと言っている。
ここに電話をかけてくる人は皆、そう言うのである。
あたしは、いつものように相手から必要な情報を聞き出す。
外観は、黒でスクリーンに斜めに傷がついているという。
固有の要素は特定するときに必要な条件である。
それをデスクトップのシートに入力し検索し、
該当するコマンドにしたがって事を進めればいいのである。


電話越しの男に、暗証番号を決めてもらい、それを私は聞き返し、確認する。
「そうです。」
男の了解がとれたので、もらった4ケタの番号を打ち込めば
一人のケータイ電話を停止させることがあたしには出来る。
重大な責任である。
今朝入れた、コーヒーがスターバックスで買ったマグカップから湯気を上げている。
カレンダーには、来週の金曜日に合コンとある。
そろそろ、あたしも結婚して子供を生みたいと思っている。
親友の利香だって昨年の冬に結婚した。幸せそうでうらやましかった。


最近、肌の張りが学生時代から衰えてきていることも感じている。
鏡を見る度に、あたしの時間が減って来ていると感じている。
お母さんにも、あんたも早く片付いちまいなと、催促され、分かってるとだけ答えている。


公園でランチを取ると、ベビーカーを押した若いお母さんを見かける。
あたしと同い年ぐらいか、少し上か。少し上なら少しほっとする。
お弁当とコンビニで買ったヨーグルトを食べ終えるとあたしは、また席についた。
電話が鳴る。
電話の向こうでは昨日ケータイをなくしてしまい、見つかるまで停止したいと言う。


資本主義が自由化を進め、国内の企業がより経済効果を上げる為に賃金の低い労働者に
業務を割り当てている。アウトソーシングである。
あたしは企業がコストを下げるまで、この職業についていられるのだろうか。
企業から切られた時に、あたしは歳をとっただけで今日と何一つ違わないあたしを発見するだろう。
だから少なくとも、資格、結婚、出産、英語が必要だと感じる。
生け花やお茶、フランス語にだって興味がある。
詩を書いたり、小説を書きたい意欲もあたしにはあるのだ。
ヴァレリーの詩が好きだし、ちょっとは自分のセンスにだって自信があるのだ。


定時になった。今日も20人くらいのケータイを停止した。
よく仕事をしたご褒美に、帰りにケーキを買っていこう。
その足でツタヤで一本だけ映画を借りる。
オードリー・ヘップバーンの映画を見ながら、ケーキを頬張るのがあたしの至福の時である。


すると、駅前のデパートで買ったケーキ、
ショートケーキにかわいいデコレーションがついている奴だが
を一口、二口と頬張っていると
クリームとスポンジの中に何か固いものが入っている。
フォークで掘り出していくと、
それは黒いケータイ電話であった。
スクリーンに斜めに傷跡がついている。





世にも奇妙な物語のようになっている。
ご迷惑おかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
中尾 誠



http://www.konstantin-grcic.com/

Konstantin Grcicのこの椅子はイケテル。
かなりクールである。
ストイックでリジッドだがプレイボーイ的なものを感じる。



この前のプレゼンではイメージにDominique Perrault
国会図書館を下敷きにしているようだった。
確かにあれは、傑作だけど、内部の家具になると鈍重だなあと感じた。
逆にファサードは家具的な印象を持っている。
家具デザイナーと建築家の溝は思いのほか大きい。
sizaの家具の密度を見ると、建築ディテール的な印象がある。


ディテールは、あくまでもディテールでしかありえない。
スカルパであっても、全体性のなさのほうに建築が傾いていくからよく見えるように思える。
家具には全体性が備わっているから
建築にはスケールとディテールのバランスが上手く採れないのかもしれない。
無論、Nouvelはどちらもいい。