ユトリロの絵画
今日はアイデアコンペを考える中、学習が効率よくできた。
これは、誉めよう。


イデアが浮かばない時に
うーんと頭をひねっている状態は奇妙である。
実はその時持っているいくつかのヒントを順繰りに
組み合わせたり、変形させたりし終えると、
イメージがない状態でうーんとなっている。
このうーんの時には、シナプスニューロンが活発に働いているのだろうか。
外部入力がなければ、オペレーションの技術などそう簡単には閃かない。
考えるというのは、外部入力がない時にどこまでできるかは肝心である。


新鋭のグラフィックを手当たり次第、チェックし、
アートや写真家の作品、テクストと漁りまくる。
織物や焼き物、民芸品やゲーム、CG、ファッション雑誌もチェック済みだ。
うーんが多角的に刺激を受ける感じがある。


物理学、脳科学、気象学、生物学、手当たり次第にヒントを探す。
休憩中も人の服装を丹念に調べる。
細かいシミや汚れ、歪みやネジレが意味ありげに見えてくる。
スケッチを試み、おもしろそうな考えが閃き興奮するも
図書館を出る頃には、街を眺めながら、やっぱりアレハちげったかなとなる。


写真家の荒木が何人かのクリエイターたちと対談しているのがあって
これが、中々おもしろい。
表現することは気恥ずかしいから、たまたまや偶然にのしかかるんだ、と荒木は言っている。
自分が興奮していないものでは、相手を興奮させることはできないと、また別のだけかが言っていた。
一方で、つくることは、既におもしろくないと言っている人もいてこれもおもしろい。


人間を描くときに、顔の書き方を手が知っていることがあると一気にしらけてしまい、
知らない手順を目指すと、おっとよくわからんものがデケタと喜ぶ。
顔の書き方のコツを持っている人の絵は、なにか様式的で純粋さに欠けている。
そうやって自己を消去させていくと、線がよくなっていくように感じる。
芸術家が丹念に仕上げたドローイングも重労働のような凄みになっており、
それは何か、ずれているように感じる。


そういえば、ロンドンでスケッチを見せると絵が変わったと言われた。
絵が変わったと言われるのは、結構嬉しいことかもしれない。
今日もスケッチをしたが、なかなか気に入ったものが描けたので、これまた誉めよう。

千年少女 (Switch library)

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バリの雫

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Light & Shadow 光と影 新装版

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