EGの家具であります。



何かきっかけがあったかというと、あまり明確ではないが
一つには、図書館を変えたことがあるだろう。


書棚に並んでいる本、その並び方、座る椅子
そこにいる人物像、窓から見える景色で読みたくなる本は劇的に変わる。
日中、つまり仕事をしていない人しかいないはずなのだが
日々、勉学に勤しんでいる人がこれほどいるのかと嬉しくなる。


社会労務士、司法試験、栄養士、大学院受験、修士論文
業務に関する調査、定年後の自己験算、人は調べ、知り、学ぶのだと
図書館を変えると発見する。


本を読むこと、それを咀嚼し、再構築すること、
もしくは自らを遠い砂漠のアラビアンナイトにすること
言語はもはや言語であったことなど、忘れて私たちに働きかけてくる。
私たちに未だ読まれずに待ち望んでいる書物がこんなにあるのかと
こりゃ、まだまだ、本当にまだまだだなあと感じる。


ある建築家が自らの建築活動を考えるためにやっていると書いていた。
考えることが結果的に建築という媒体を通して、私たちに伝えられるわけである。
計画学的に根拠を探すようなデザインではなく、
ディテールや都市計画、家族や生活に限らず
何かしら、きっと小説家や芸術家、政治家や企業家、数学者や考古学者が考えるように
そうやって建築の言語で示すことが建築家の一つのポーズなのかもしれない。


建築には大義や論理が必要なのではなく、
考えていないものは、建築ではないと言えば、そうかもしれんと思え、
逆に言えば、考えることをたまたま建築で示した人が建築家だとも言えそうである。
これは、私たちは大きな海原にいきなり邂逅したカエルのような気分ではないか。
結果を出す、ディテールを知るというより、まあ、とにかく考えよう。






村野藤吾著作集 全1巻

村野藤吾著作集 全1巻

村野藤吾 著


建築を設計する態度として、村野のあり方を知る事ができる。
「ソレガネ、」といって対話していく村野の
秘密を教えてくれるような話し方が、微笑ましい。


柱を楕円にするんだけど、実際は四角でできてる。
写真じゃこの丸い感じは伝わらないんだな、とそんなことを言う。


彼が本書の中で再三に繰り返しているが
歴史、無茶苦茶でもなんでもいい、その人にとっての歴史がばーっと話せるってことが
大事なんですねという。
佐藤功一のルネサンスの話をありがたいものだと言っている。
私たちもそんな、ありがたい話をきっと聞いたはずだろうと思う。


耳に手を当て、こっそり秘密を聞いているような本である。

PLAY

PLAY

グラフィックデザイナー菊池敦己の作品集


菊池は青森美術館のグラフィックをやった人で
横浜トリエンナーレ、ドイツ写真展など、活躍中の人である。
細かい、刺繍やブーケを作るような手つきを感じ、
こういうのは、こういうのでおもしろいなあとワクワクした。


こういうのは、マネすれば、誰でもうまく作れるような感じがするが
きっとこういう、鮮烈さはシロウトではでないのだろう。

食卓作法の起源 (神話論理 3)

食卓作法の起源 (神話論理 3)

クロード・レヴィ・ストロース 著

私はこの人のテクストが好きで、時折部分的に読む。
はっきりと何が言わんとされているのか、わからないけど、
どこかの部族社会での神話を取り上げている。


カヌーに乗った太陽の話が、なんだか鮮やかであった。
どこかどういいのか、またはどういう神話だったのかうまく説明できないが
神話の持つ、軽妙で神秘的な世界像が、
ああこういうのって読書って感じがするなあと思ってしまう。


割合、私は擬人化して事象を捉えるくせがあるようだが
実際はそれをポップな気分ではあまりやっている自覚はない。
本書に紹介されている神話は、
神話というといかにも大仰な響きではあるが、
ありえないような、ありえそうなことが大まじめに進んでいく感触が
次第に映像として、色彩として私の目に浮かび上がっていく。
こういう造形をどこか求めていたように思える。


ああ、もっとたくさん読書をしなければ、とまたしても思う。