Take Ten

Take Ten

聞いた情報だが、サントリープレミアムモルツのCM
竹内結子がビールを注ぐやつだが、ビールがフルCGであり圧巻だという。
この泡の肌理の細かさこういうものを、視覚化するのに
CGはとても機能しているように感じる。
泡の持つ一つ一つの表情がみるみる変化していく様子は
カメラをまわしても、中々描き出せそうにない。
http://www.suntory.co.jp/beer/premium/tasting/howto.html


最近、ちらちらと、ベンヤミンの書いた、
言語一般および人間の言語について
というのを読んでいる。頭に栄養が行き渡っていないことを痛感する。
こういうものを読むと日頃の私のブログが誠に罪深い文字の羅列に思えてくる。
深く反省する。


話せないということ、これは自然の大きな苦悩である。
私もブログで書いているだけであり、これは沈黙と同様に思える。


住まいの境界を読む―人・場・建築のフィールドノート

住まいの境界を読む―人・場・建築のフィールドノート

篠原聡子 著


流し読む。
集合住宅を設計する建築家はその言語域がまた少し異なる。
プランが雄弁である。
狭い住居の切実さの中では動かせることが実体を持って立ち現れてくる。
ものの多さに言及し、家族構成の推移と社会と個人、
内と外、境界線、公と私、
建築を考えるアプローチや原理には共通したものが通底するのに
そこから導かれる解答には、極端な違いがある。


環境心理学―環境デザインへのパースペクティブ

環境心理学―環境デザインへのパースペクティブ

槙究 著


建築の形を説明する根拠にもいくつか、ルーツはあるだろうが
人間行動学的観点からの造形には、一定の分かりやすさがあり
相手にも賛同させやすいところがある。清潔すぎるきらいがあるが。


この部屋のサイズがある人数を超えると80%が不快だと答えた場合、
それはいけない。とどうしてもなってしまう。
じゃあもう少し大きくしておこう。
そういう研究成果があるので、ここは10mにした、と言われれば
なんか納得せざるをえないようなものなのだろうか。


しかし、いくつだと快適だ、と言った場合はどうだろうか。
不快だと、それはいけないとすんなり行くのに
これなら、快適ですと言われると、しっくりこない。


本書は、アフォーダンスについてもいくつか触れており興味深い。
その根拠に行動の発掘がある。鉱山をトンカチやっていると
「おお!座れたぞ」
「おお!丁度いい」
「おお!」


発見をよすがとすることをこう書いてみるとなんか、頭が悪そうに思える。
だが、造形ではなく環境なのだとすれば、霧雨だと顔を出したくなるとか
暑いとシャツを脱ぐみたいなものもあり、やはり環境が行動を引き出している。