ウィリアム・モリス自邸、レッドハウスの庭



無関心や無視という自己防衛術が
連続していた世界を縦割りにし、細分化され、専門化が進んだ事で起きているように思える。


一般に応用物理学と物理学が異なる専門性を持っているように
何か一つだけしか私たちは、選べなくなっている。
意匠と構造、都市、歴史を分離して学ぶ建築学は実はもはや
建築学ですらなさそうに思える。
自動的に建築を志すモデルが共有されはじめ、方法論がマニュアル化する。


効率化は、脳を蝕んでいく。
しかし効率化は私たちを鍛えもする。


一級建築士まであと二ヶ月たらずであるが
お金がほしいのでコンペを見ている。
今日はアイデアコンペの敷地となっている自由が丘を見にいく。
一度、プロをやってからやるもんじゃないかもしらんが、どちらにせよ考えることは大切だろう。


自由が丘に行くと今日は出店が並んでいて、ちっちゃなシャンソンのコンサートをやったり
ワインやシャンパンを振る舞って、セレブを気取っている。
この街らしいにぎわい方である。ただ、この西洋かぶれがフランスを典拠としていたとは知らなかった。
大階段がコンサートを見る為の劇場になっていたり
お弁当やれビールやれを持ち込んで宴を始めたり、パジャマで犬の散歩みたいな感じの通りである。
私性を受け止める包容力がありそうである。


お題を読むと、タバコをスウところをカンガエロとある。
タバコを前向きなモノに少しでも浄化したいJT
公共の新しいイメージを求める建築家が起こしたコンペである。
過去の受賞作とそのコメントを一通り目を通す。


まず、よく分からないのは、なんで自由が丘なのか。