今日は、午前中に読書を進め、
10時になってからプールで泳ぐ。
今日は暑かったし、身体がなまっていたので泳ぎたくなった。
二時間ばかり泳ぐと、身体が悲鳴を上げ始め、心地よくなる。


たまたまだが、そこにあったカヌーというものを初めてやった。
適当にカヌーらしき動きをしたら、本当に動いた。
ただ、オールがボートにがつがつ当たってしまい、上手い人のを見ると
その辺りの要領を得ている。
川辺でカヌーでまっすぐな直線を描くのは気持ちがいいかもしれない。



ひととおり、勉強を進めた後、友人と六本木で落ち合い、語らう。
こういうのがやりたい、ああいうのに興味があると
言われるのだが、なんか手応えがない。
あの建物がおもしろいと思って、はるばるエジプトまで見にいったけど
あんま良くなかった。というのなら、中々おもしろいのだけど
妙に賢いのである。
馬鹿はいなくなったのかもしれん。


やたら仕事上で関わっている有名人や規模の話ばかり登場し、
エーキョーをうけたと、言う。
私は、日頃の平凡なスケッチと読んだ本の話をしたが
果たして関心をもってもらえたのかどうか。


永山則夫の「無知の涙」という本がある。
彼は小説家でモノを書いている。
ただ、彼は人を4人殺めた過去を持ち、獄中で執筆活動をし、最終的には死刑となっている。


獄中での給食で食べたトマトのニュルニュルしたところが
食器回収の時に牢屋の床にごぼれていた。
永山は丁寧に種を取り出し、庭に埋める。
もしかしたら、芽が出るかもとの切実な思いを胸に、毎日かかさず、手入れを行うと
トマトが育ったという話が本書にはある。
その美しさに、永山は心を打たれ、感動する。


すごいね。 といって受け答えする人をときどき、見かけるが
何を答えてよいか分からないのだろうと思える。
何を言ってもいいのに、謙遜しようとし、自己防衛から始まる様子は不自由そうで気の毒である。
故に思ったことを言うと尊大な印象を与えかねない状況がある。
しかし、好きな画家はいますか。と聞くと案外、皆自由に話し始める。
皆、芸術家のハシクレである自負があるのだろう。


ただ、人のパーソナルな感情を聞くのは、退屈に感じる自分がいる。
なるほどなあ、などと分かったふりをして
本当は自分がしゃべりたいのである。困ったものである。
相手の話から感動できる感受性を持ちたいものである。