ルドルフ・シンドラー―カリフォルニアのモダンリビング

ルドルフ・シンドラー―カリフォルニアのモダンリビング

おおむね人は敗北者であるとよく考える。
どこかで雪だるま式に大きくなった某かが
敗北を勝利として振る舞おうとする。
ようするにイタイのである。
確かに一度も負けてはいないのかもしれないが
確実に電車に乗り遅れ、団体は遠のいていく。
私は、建築家が孤独とつぶやいた時にそうした後戻りのできない所に
この人がいるのだと感じた。
彼がそうであるが故に、そうでないように振る舞う人物を
私は嘘くさく見えてしまう。
セレブを演じるプロレタリアートほどイタイものはない。


負け犬である事を建築家は認めようとはしないが
歴史的な文脈の中で眺めるとはっきりと負けただろうと思われる建築家がいる。
ルドルフ・シンドラーである。


ウィーンでアドルフ・ロースの事務所を出て
明るさを求めてカリフォルニアへ向かう。
ロヴェル・ビーチ・ハウス等といった健康志向のクライアントによる派手な
建築の作り方が可能であった時はモダニズム謳歌しているように見えたが
彼の多くの住宅は極めてB級であり
薄汚なさ、卑屈さに満ちている。
それはカリフォルニアの陽気な光であるが故に際立った異物感であった。
1920年代のヨーロッパのモダニズムを確定するごとく、
1932年にMoMAで近代建築 国際展が開かれ、
同年にはヒッチコックとジョンソンによって近代運動を様式的に定着させた。
世に言うインターナショナルスタイルであり、巨匠の誕生とも言えるが
同朋、ノイトラはここにミース、コルらに並んで登場しているのに
シンドラーは選外となっているらしい。

モダニズムに敗北した現代からすれば、
シンドラーが某かを我々に共感させてくるのは、あり得ないことではない。


敗北していることを認めないことを強いと表現することがある。
あなたは、強い。
近代の建築が果たせなかった夢として
バックミンスター・フラーが原理を実体化したことは、彼の圧倒的な強さを裏打ちしているように思われる。
建築界の原爆であるフラーを卑屈な敗北者シンドラー被爆しながらも
ゾンビとなって襲いかかる。


建築家は、負け犬である。
国家に破れ、理想に負け、政治からは除外され
公共、歴史、都市を知らないまま、年老いていくのである。