合理的な設計と言ったものがあるけど
意味がやはりよくわからないままであり
そこにしがみつけば、なんとかなると思える自分もまた死んでいる。



近代建築史

近代建築史

 
鈴木博之 編著
五十嵐太郎
横手義洋 著


本書では西洋建築の近代化を古典主義への批判がはじまる18世紀半ばとしてとらえている。
クロード・ペローがウィトルウィウスの比例を疑問視したことに一つのきっかけを見ているようだ。
バロックによる装飾過剰でわけがわからなくなった人が
原初に戻れと合図をかけ、ロージエ神父の建築試論を手に取る。


戦後モダニズムCIAMが崩壊するところまでを一つのまとまりととらえている。


現代のための歴史といった感じが抜けない。
歴史にイニシアティブが求められるのか。
コルビュジエがさほどヒロイックに描かれていないところに気づかれる。


後半はチームXから森山邸まで現代建築を突っ走る。
五十嵐による箇所だろう、読んでいて手応えがなく、つるりんとしている。
理論的支柱がおらず、原理もなければ、イデオロギーもない。


建った建築は新建築でアーカイブ化され、リヒターみたいに届かないイメージとなって亡霊化する。
シザや篠原をいいと言ったって、何がおもしろいのか。