案外、このスケッチシリーズは楽しい。
ニンゲンも悪くないなあと、しみじみ思わせてくれる。
一日大体、5人くらい描いているが
長くやってれば、ずいぶんたまるだろう。
あいつ、この前描いた奴だ。と尾行を始めたくなるかもしれない。
「おい!あんた!俺はあんたを前に見かけたぜ」
ただ、それだけだが、ホラナと見せてやりたくなるかもしれない。
「どうだ、確かに見かけただろう!?」
タイトルはこれからは絵に書こう。打つのが面倒である。



図書館には、よくもまあここまで似た奴がいるなあと思う程
蒼井優に似た中国人がいる。よく見ると違うのだがとてもいい線まで行っている。
その彼氏がまた、ひどい不細工で彼女に弁当なんか作らせて食っている。
このよく見ると違う蒼井ちゃんを見ると初恋のチャン・ツィイーを思い出し
きっとああいう所から遥々日本に来たに違いないと想像をたくましくする。
スケッチをしていると人が持っている持ち物一つ一つを愛でたくなる。


いまひとつ一級の勉強も飽和してきている。あと二ヶ月もあるのかと萎える。
とっとと働いたほうがおもしろいに決まっている。ちきしょー
受けたい人が受けたい時に受けれる仕組みを作ってほしいものだ。


換気で全熱交換器といったシロモノがあるが
潜熱をこっそり盗み取る掏摸のようなやり方がおもしろい。
すれ違い様に出て行く空気からこっそり熱を頂いちまおうってわけだ。
熱力学はエコロジカルだと言っているのだが
手口は掏摸、泥棒のようなものが多い。
土や河の使ってない熱を分捕ったり、太陽光を平らげたりするのである。


片や仕事帰りにフィットネスクラブで贅肉を落としている紳士淑女が
こそ泥みたいな事までして贅肉を回収しているんだから世話ない。
リコ的なエコである。


ロンドンのポートレイトギャラリーで見たゲルハルト・リヒターを最近、思い出す。
慎司氏とあれこれ、その後話す。


亡霊って単語が漂着し、リヒターに係留する。
私たちがその都度作り上げる新しいイメージはリヒターによって確実に葬り去られていく。
永遠に埋められないイメージとの距離が機械による処理によって表現されている。
新しい画像処理、慎重なライティングによる撮影、実写と現実の組み合わせ、もしくはスケッチやテキスタイル
どんなことをやっても、リヒターの絵画に見えてしまう。
次々の現れる、これまで見た事のなかった作品を載せた作品集など自己批判のないイメージは
交通手段としてドキュメントとして媚薬としていつまでも薄皮一枚私たちにはとどかない。