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「喫茶店の女」
彼女は私がよく行く喫茶店のウエイトレスで
ひらひらと、お水を汲んだり、ケーキやトーストを届けたりしている。
茶店でお客が来ない時間になると
棚のフレームを握ったり、既に綺麗な皿をかちゃかちゃと片付けたりする。
コーヒーのカンカンを両手で開けようとしている様子を描いた。
とても彼女らしい姿勢であるように思う。
ロンドンで友人と話した事が時々思い出される。
一つ、試しに発展させてみる。
ディテールの話をした時の事だが、ディテールがある。とはどんな状態を指しているのだろうか。
建築は納まりといった、建築の仕組みに関する学問がある。
それはプロフェッショナルの言語としての領域のようでもあるが、
どういった倫理がそれを管理しているのかは、私程度ではまだ持ち合わせていない。
池原義郎の言葉に「目が切れちゃう」というのがあるらしい。
どういう時に使うのかは想像してほしい。
彼の設計した建築ではボードの目透かしコーナーまでアールになっているという。
ここには、何かしら倫理観がある。
例えば、軽く、薄く、すっきりに対して
きっちり、仕組みがわかるような納まりにしようと思う人もいるだろう。
精密機械のような納まりというのも、分かるような気がする。
いいオーディオの強烈なディテールを眺めれば、うお、こりゃTAMAGETA!となる。
Appleデザインのような柔らかい質感はまた異なる。
サッシュ枠見付を細くするのではなく、がっちり余裕のある厚みでのおもてなしも同時代的である。
ディテールがあるというとき、金属や木が果たす役割はとても大きい。
コンクリートが造形ではなく、ディテールと呼ばれることは、割と少ないかもしれない。
ディテールがある、これはまったくよく分からない言葉であるが
凝っているというのと、私は区別したい。
- 作者: 鈴木博之,高原健一郎,原口秀昭,伊藤大介,鈴木哲威
- 出版社/メーカー: 彰国社
- 発売日: 1998/03/01
- メディア: 大型本
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ロンドンでは、エジプト様式の残滓をいくつか見かけた。
大英博物館に展示されている「ロゼッタストーン」に代表されるように、
ナポレポンのエジプト遠征1798~99をきっかけとしてヨーロッパが
エジプトに強い関心を抱くようになったのである。
それまでにもピラネージやジュリオ・ロマーノ、ラファエルらにもエジプトを感じさせるものがあるようである。
そういえば、モディリアーニやブランクーシの作品にもアフリカの血脈を感じられる。
当時の「交通」がカルチャーと密接な関係を持っていることがわかる。
ジャポニズムや中国様式、ヒンドゥー、回教建築様式とヨーロッパにとって
エキゾチックなものが沸き起こる中でこのエジプト様式も現れるようになる。
鈴木は様式のインフレーションといい、様式が相対化され、価値観が下落していたと言う。
多様化する様式の中において
いかなる様式においても共通する情緒過剰の演出効果としてピクチャレスクの要素を取り入れていくことになる。
ロマンティシズムにはある空気を作り出そうという下心を感じる。
政治というような制度的なものではない。なんというか、みみっちい。
本書は様式をディテールで見ていくという構成をとっていることがおもしろい。
ここでは。ピラミッドの勾配が正確にリヴァイバル期に学ばれていないことを上げ
エジプト様式の数少ない「ディテール」がこの勾配にあると言う。
ディテール理解の低さによって、様式的に成熟していかなかったとも言える。
ピラミッドのディテール。勾配はギザのピラミッドが52.2度だそうだ。