今日は一日、法律の勉強となる。
案外、法律の勉強はおもしろく、固い文章を読んでいくのが楽しい。
制限には元々ある反省が込められていることが多く、
なぜかを考えると中々おもしろい。

夜はTTと大倉山でひっそりと呑む。
帰りに大倉山から自宅までぶらりと歩いて帰る。
昔よる歩いた道を思い出しながら、
街並の印象は幼い頃のものが案外小さかったり、ちっぽけだったりする事に気づく一方で
まるで変わらない印象も同時にあると感じる。




ロンドン―地主と都市デザイン (ちくま新書)

ロンドン―地主と都市デザイン (ちくま新書)

鈴木博之 著

ロンドン入門にはうってつけの書だと言える。
私にとって、ロンドンはまだ観光地の域を出るものではなかったが
まだまだ、この地には悪魔がいっぱい棲んでいるようである。


チャールズ・バリーとピュージンによる議事堂を
どう眺めれば良いのか戸惑った。
建築家が「線が多い」と苛立ったとすれば、
ゴシックへの反発から来ているのではないかとうっすらと感じたのを記憶している。


ロンドンには煉瓦と石の建造物がことの外多く、
江戸がそうであったように、過去には大火が存在している。
蓄積されてきた時間を焼き尽くす炎は無常なものだろう。

小川守之 著

本書は、「Complexity and Contradiction in Architecture」に多く寄っている。
ヴェンチューリルネサンスマニエリスムバロック、新古典
ファーネス、ヴァンブラ、ラッチェンス、ジョン・ソーンを掘り起こしながらも
なぜ、ここにマッキントッシュが含まれなかったのか。
それほど、マッキントッシュファサードは言語が重奏している。
そうした観点から彼の建築をヴェンチューリの手つきを援用しながら説いていく。

近代・現代建築史 (新建築学大系)

近代・現代建築史 (新建築学大系)

鈴木博之
山口廣 著

ヨーロッパ、アメリカの近代・現代を鈴木が
日本の近代・現代を山口が記している。


ロンドンで紐解いていた書物である。今回は鈴木による部分前半のみ読み込んだ。

近代の諸条件
合理主義の理念
初期工業化時代の材料と様式
都市と郊外住宅
リヴァイヴァリズム
初期近代の運動


古典モデル、中世モデルから幾何モデル、機械モデルへ移行する際に
鈴木はその中間期に今ひとつ自然モデルを見出し、その過渡期を描き出す。

ピュージンやラスキンはゴシックリヴァイヴァルの出発点において
社会全体の問題として中世モデルを採用した。近代を中世モデルで乗り越えようとするところに
この思想の限界は存在していた。

一方で自然モデルについてはO・ジョーンズ、Ch・ドレッサー、ガウディ、サリヴァン、ギマール、エンデルといった
アール・ヌーヴォーとその周辺に沸き起こる造形思考からそれを読み取ると言えば分かりやすい。

幾何モデルは、ラショナルな造形主義、鈴木はデ・ステイルやロシア構成主義をここに分類し、
機械モデルでは、ファンクショナルだけでなく生産性を含み、社会全体へ開かれたものとする。


一つの断面として図式化して時代を捉えようとしている。
現代を考えるきっかけとなる。
今後も本書に立ち返りながら、現代のモデルについて考えてみたい。