銀閣へ寄ったことを記す。
なんとまあ、俗っぽい選択だろうと我ながら呆れたるが
驚いたことに着いてみると
この観音殿が改装中であり、矩体だけになっていた。
屋根だけが、残っており、三連の花頭窓が剥ぎ取られ、地面に立てかけてあった。
子細に見れば、確かに慈照寺なのだが、このなくなっている様子が恐ろしいものがあった。
まだ、今ひとつ判然としない。
例えてみるならば、ウォーズマンの仮面の下を見た思いかもしれない。


序 現代の特質
ー何をもって現代とするか

著者 石山修武


フラーをベトナム戦争以前のアメリカの良心が生み出した開拓者精神の産物と
捉えているところがおもしろく、
石山は既に地球は正球ではないと、捉えている。
通信技術の発達により大量輸送、通信装置は強烈に世界を結びつけながらも
また同時に格差を生んだ。この状況を経済的歪みと捉えての発言である。
均一化へ向かったはずの、近代的交通の概念がある時点から
猛烈な歪みを形成していたとするのはおもしろい。


石山はしきりに、歴史性への回帰を言及する。
これはリファレンスとしてではなく、知覚体系としてであろうか。
建築が歴史に記述されたがっているかのごとく、当時の時代と相応した形で
しばし語られており、私たちは目指すべきものに、
得体の知れない「現代性」といった桃源郷がある。
この感覚がそろそろ怪しいように思えているがどうだろうか。