欠伸男

最近、知り合いの顔が変形してきているように感じる。
本人はまるで、いつもの事だといわんばかりに平然と振る舞っている。
ジョークを言えば笑い、暇になれば欠伸をしている。
私には、そのいびつになっていく彼の顔を見ていると
そのうち目も当てられないような流体になってしまうのではないかと
落ち着かない気持ちになる。


「最近どお」という調子の会話が続く間も
彼の顔は、明らかに融解が進行している。
フランシス・ベイコンの絵画が、たわいもない挨拶などするだろうか。


だが彼の顔が変形すればするほど、
私はより、彼の核心を捉えたような感触を得、
そのドロドロの顔面に反し、彼の友人であることに誇りを感じて来るくらいだ。
彼の顔面は画布の上で秩序よく並んでいることをやめ、
いよいよ、パレットの上で望みの色になるのを待ち望んでいる状態に近づいた。


彼の顔は、グニャグニャになればなるほど、
支配している彼の輪郭を得ることができる。
ぐにゃぐにゃの過程は、私たちが心から楽しめる一つの現象なのである。