活字離れと世間は言うけれど
活字中毒もあまり良いものではないかもしれない。


定本 柄谷行人集〈2〉隠喩としての建築

定本 柄谷行人集〈2〉隠喩としての建築

柄谷行人 著


1981年に書かれたもの。
本題と同じ章「隠喩としての建築」のみ。
第4章の建築としての隠喩が特に難解で
体力的なものもあったかしれないが
理解しがたい内容だった。TTに今度聞いてみよう。
後日、「形式化の諸問題」でなぞり直すことにする。


アレグザンダーの「都市はツリーではない」あたりの話は
ちびまるこちゃんにも分かるように
丁寧に書かれていたので、おもしろさが分かる。


メタファーが論理展開するときに、
それまで別々のものだったものが突然隣同士のように
肩を寄せ合い始める。これによって思いも依らぬことを
引き出すことができるようになる。


自分という輪郭内にあまたあるいくつかの性質のほとんどは
自分の与り知らぬところで勝手に生きている。
それを例えば、吠えたりコスプレしたりすることで
かき混ぜると、ひょいと意識化に昇ってくることがある。
外に求めるばかりでなく、自分をかき混ぜると何かが得られることがある。