ある人が亡くなった。
突然の報にあまりに何も変わらない日常を過ごしている中、
訪れてる死が自分と連続であることに戸惑う。


今日の会に来ていた人の中で
もっとも関係の遠い存在が私ではないだろうか。
敬遠された存在として私はそこにただ、いた。


祖父が亡くなった時のことを思い出した。
私は後悔していることがある。
それは告別式の時に周囲に混じって
祖父の呼び名を叫び、泣いたことである。
これは嘘だったと自分では思っている。
何かしら、周囲がそういう悲しみを求めていたような圧迫があり
それに対して素直になれないまま泣いたのだ。
祖父の死は、私に大きな喪失をもたらしたし
あの時は悲しかったが、あの表現は欺瞞だった。
それ以来だろうか、
私は自分が殊更不器用だと感じるようになった。

かくれた次元

かくれた次元

エドワード・ホール 著
日高 敏隆
佐藤 信行 訳


1970年に出版されている。
背景に都市への人口流入があるといえる。
人口が増え続けることで、「密度」が社会問題になってきている。
過剰に人口が増えると、群集がアニマル化してくるというのが思い出される。


都市へ人口が集まることで問題化するものに
異文化との交流、人種差別がある。
「差異」という言葉が使われるようになってくるのもこの当たりからだろうか。


動物が持つ個体距離の話がおもしろかった。
臨界距離や逃走距離というものを本来、動物は持っているが
それらを制御してしまったニンゲンは「家畜化」されていると表現する。
しかしながら、家畜化されることで高密度で暮らすことが可能になる。
この概念に距離が含まれていることで、空間へと発展していく。
高密度化することで、シンクと呼ばれる限界を向かえる動物実験が伏線となる。
ストレスの発生が免疫力を低下させ、自分を殺すというのは
ニンゲンもよく知っておきたい事実だろう。



なかなか、読み進まなかったが
きっとここに書かれていることが、私たちにとって新鮮さを
既に失っているからかもしれない。
対象同士の距離について考えさせる本だと言える。