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年賀状を出したりするのが
私は好きです。何か手紙を書くのが好きなんでしょう。
今年は妙に多く年賀状が着ました。
高級ブランドのバッグを持って
パーマをかけておしゃれした社会人たちが
年賀状ではやはり、あいつだなと感じさせます。
特に手書きの字が、なんとも幼げです。
文章にはもはや、魂が籠っていないことも多いのですが
字がうまい奴はやっぱり立派な感じがしますね。
御丁寧に印刷ですませた人も
レイアウトへの神経はどうしても見てしまう。
私も先生方に出す葉書となれば
尋常じゃない神経の使いようになり、
この経験が結構シビアな目を養うように思います。
字を書いているときは、
各人、書き慣れた感じのするいい字だ!と思っているのだろうけど
受け取ったほうとしては、こりゃ社会でも苦労しているだろうななどと
心配になってしまいます。
そりゃ、私も相当なものだが
女の子の字が雑だと、なんだか切ない気持ちになります。
実は、私の名前である「誠」なる字が
本当に多種多様に皆書いてくるなあ、としみじみ思います。
いつもバランスを悪くしてしまう字として
「建築」の「築」です。これがどうもうまくいかない。
プロポーション感覚は字にも当然必要でしょうね。
東浩紀の話を聞いてみたいので
時間が会えばいってみよう。
http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=60
近代的大工業は産業革命によって労働力が機械化された頃に生まれたとある。
この生産システムを所有する資本家と
誰にでもできる仕事だけをやらされている労働者の
階級闘争に共産党宣言は始まっている。
暴走する資本主義を思い浮かべた。
つまり、現在でも資本家がプロレタリア層を働かせて
富を得ていることは、なんら変わりがない。
なぜ、変わらないのか。
今悲惨なのは、グローバル化によって
働けば働く程、消費へと追いやられている事だ。
Made in Japan はとても少ない。
私たちの労働は、稼ぐためというよりは、消費するためで
資産が永遠に増えない。
今回の大量失業は実はなんらかの理由があれば
資本主義なら今すぐにでも日本人を雇用するのをやめたかったのではないか。
この当たりの話は非常に今関心がある。