日野市立中央図書館
鬼頭梓 設計


鬼頭は、前川國男の事務所で
神奈川県立図書館、国立国会図書館などを担当し、
自身の事務所でも図書館を多く設計、
現在の日本の図書館のあり方に大きく貢献している。
以前に、日野市立図書館館長の前川恒雄の著書を読んだ時から
関心を持っていた。


1973年竣工
率直に、使いやすい環境が整理されていると思った。
地域図書館として要請される性格を読み込み
その中で達成すべきものに真摯に向き合った姿勢を細かい所に感じる。
構成は極めてシンプルだが、階高の調整がいい。



水無瀬の町家
坂本一成 設計


1970年竣工
壁面はRCだが屋根架構は木造である。
軒をRCで支持しているが、
このデザインへは、凡人じゃ中々到達できないだろう。
ファサードの荒々しさを厳格な直線が支配している様子が
すばらしい。私の中で五指に入る住宅だと思う。
窓のリズム、車庫の深さ、影の落ち方とどれをとっても
極めてストイックだと言える。




塩の道 (講談社学術文庫)

塩の道 (講談社学術文庫)


宮本常一 著


1907-1981に生きた民俗学者、宮本の最晩年の著作。
まず、「塩」とは、海的なものの象徴だと言える。
これは渋沢が言っていたように農業的な観点から
別のそれに変わりうる位相を
民俗学歴史学に持ち込もうという意図を感じさせる。


葬式の帰りや、招かれざる客人を追い払う時
相撲の勝負前に塩を蒔く。
塩とは、何かを清めるときに使われていたと言える。


なぜ、塩の研究があまり行われなかった。
塩に対する無関心さの理由として
塩には霊がないためだという。
渋沢は塩は体内の循環機能を助けるが
蓄積されないものだと言い、エネルギーが塩にはないことを指摘。
神を祀るときに、塩を備えない理由として
塩には霊がない為だという。
これは前述の塩を使う時の説明としても有効だと言える。


塩は海に接していれば、どこでも手に入るのだが
塩を精製するために必要な道具は、限られた場所でしか得られなかった。
容器として鉄製や石のものが取れる場所。
石の場合、削るための金属がまた必要だったというから
金属が塩に与えた影響は大きく、どこでも採れるけど
生産がしやすいところと貿易するようになっていったと宮本は言う。


この時に、山村、漁村といった村たちを結びつけたものとして
塩の貿易路、シルクロードならぬ、塩の道が発生したと宮本は言う。
これこそ、山、陸地、田、畑を海的な言語で説明するための布石だと言える。


宮本らの地道な一歩一歩を丁寧に紐解いていることを
本書では垣間見る事ができる。

うごくモノ 「美術」以前の価値とは何か

うごくモノ 「美術」以前の価値とは何か


セヴェラルネス(事物の多様性を可能にする転用過程のメカニズム)

  • 歴史的住居の転用研究から


中谷礼仁 著


転用のメカニズムについて具体例を交えて展開している。
セヴェラルネス(several-ness)は、「いくつか性」と訳されている。
これは、「多様性」という言語の限界を指摘する試みだと言える。


事物のあり方の説明方法として「かたち」と「コンテクスト」の二元論が
挙げられると始め、「かたち」と「コンテクスト」が
時間軸を導入したとき、どのような関係を築いていくのかを考えていく。
アレグザンダーの考察から、セミラチスにツリーは含まれていると捉えている。
この対立を関係へと転じたダイアグラムがとても明快である。


「コンテクスト」は時間によって刻々と変化していくが
「かたち」は同じ形でありながらそれぞれに応答していくという点だ。
厳密には同じ形ではない場合もあり、
中谷は「かたち」の限定性と「コンテクスト」の機会性という言葉を選んでいる。


それゆえ事物における潜在的有用性は、事物に本来的に内在している機能と見るべきでなく、
事物が初期設定(この言葉がうまい)以外の複数のコンテクストとの連関(=意味構造)を
生じうる触手を持ちえているという意味である(=可能な変形の一覧表)。 (引用)


「かたち」は「コンテクスト」次第では何にでもなれるわけではなく、
「かたち」がもつ限定性によって、転用の可能性はある程度ベクトルを持ってくる。
この限定性が無限ではなく、セヴェラルネスだと言う。
これは、アフォーダンスの考えをより動的に捉えたものと言えるかもしれない。