先日の話だが、
横浜美術館にて開催中の
セザンヌ主義」父と呼ばれる画家への礼賛を見た。
http://www.ntv.co.jp/cezanne/
笑えることに、
ピカソゴーギャンマティスモディリアーニと書いてありながら
モディ、ゴーギャンに関しては一枚しかなかった。
名前で集客力が変わるんでしょうね。
セザンヌだとあんまり客が来ないんでしょうか。


さて、セザンヌだけどすげえ良かった。
「北フランスの風景」という絵がとくに気に入りずっと観ていた。
塗り残しがすごく多く、手が抜かれていく、追いつめないで
最後まで行っちゃう。無茶苦茶、いい。
筆の線の太さをそのまま、輪郭にしている所に土器っとする。
色が美しいです。


静物や人物で青がいい。
青だって思わせない青なんですけど、視覚上は青なんです。
その対象の全部を知り尽くしているような
充実感を感じる。
絵の良さをいうのは、無謀に思えるので、覚え書程度で辞めとく。


セザンヌの水彩画が好きです。
筆がサーっ、サーっと通り過ぎた跡に浮かび上がってくる。
うっすーいんですけど、濃いんですね。


上にも挙げたけど、ゴーギャンの人物画がよかった。一枚だけだったけど。
デュフィだったかな?の橋の絵もいいし、ヴラマンクの絵もいい。全部いい。よし







網野善彦を継ぐ。

網野善彦を継ぐ。

中沢新一
赤坂憲雄 著


2004年2月27日に、網野善彦はお亡くなりになった。
本書は、その後に行った二人の対談である。


網野の死が、
とてつもなく大きな財産を失う事だったというのが伝わってくる。
そして、網野がこれまでやってきたことを捉え直し
それを私たちがどう受け止めていくのか、
展開していくのかについて二人は話をしていく。
懐かしむような口調でとても楽しそうですらある。


私たちにとっても、そうした核となる人物の死を迎える時がいつか来るし
それは、本当にすぐそこにある。
師匠が私たちが、ある映画監督と同じ時代を生きている事に
感動的なものがあると言っていたのを思い出す。


私たちは、常に奇跡の時間を共に過ごしていると言ったら
言い過ぎだろうか。
先日、加藤周一が亡くなった。まだ私にはよく分からない。




歴史の話 (朝日選書)

歴史の話 (朝日選書)

網野善彦 
鶴見俊輔 著


7世紀頃、いわゆる「律令国家」が確立し、
その国家の王様の称号として「天皇」が定められた時に
「日本」という国号も決まったらしい。


唐に習って、天武天皇律令をもって政治の仕組みを整えていき
701年(大宝1年)大宝律令の制定でもって
中央集権国家の仕組みが完成したわけだ。
1300年近く、この「天皇」「日本」はあり続けていることになる。


言い方にもよるけど、それ以前は日本じゃなく
「倭」と呼んでいたりしたので、厩戸皇子聖徳太子)は
日本人というよりも倭人と言うのが正しい。


網野は、こうした「日本」という言葉に疑問を持つようなったのは
琉球大学での講演の際に、
江戸時代まで沖縄は「日本」ではなく琉球王国だった事を考えれば、
「日本」「日本」と気安くは話せないと述べている。


「日本」は明らかに東北、南九州を侵略し100年をかけて
本州、四国、九州を支配下に入れたと考えられるという言い方をする。
アイヌや沖縄の問題が現在尚、緊迫しているのは、
こうした所からだろうか。


渋澤栄一の孫に当たる渋澤敬三の話がおもしろい。
かつてから、「日本」では農業が盛んで全国に展開されていた。
農産物の名前も字も全国共通して使われていて、
網野は、どうやらこれは国家の影響があるという。
作物や土地を介して
国は税の徴収をしてきたためかもしれない。ここおもしろい。


しかし、漁業、漁村と水産業については、全国で食されている反面
例えば、魚の名前や字など地域によって異なっているという。
水産史、漁業史があまり盛んには行われておらず、
それは漁民出身の学者がいないからだと渋澤は言う。
これがおもしろいだろう理由として
西欧には、水産史、漁業史があまりないことが挙げられる。
当時、西欧の書物から必死に学ぼうとした学者たちは
農業中心の近代史学からひっぱってきているため、
漁業的なものを膨らませずに来ているというのだ。


百姓=農民という図式には、そうした思い込み、政治が潜んでいるという。
もともと百姓とは、百の姓という雑多なものの在り方という意味らしく
何も農民をそのまま指す言葉という訳でもないらしい。
うーおもしろすぎる。農業が中心ではあっただろうけど、
ほとんどが、専業農家というわけではなく、
兼業農家として別の位相を持っていた人も多い。


網野の調査では、能登半島の輪島では漁業が盛んで
土地の形状もあってか、あまり農業は行われていなかった。
国の重い税は穀物などにかけられているらしく、
この地方の人にとっては税はあまり痛くはなかったのではという。
これが暗に秘めているのは、国策が農業を対象としていたという事だ。


しばし、「日本人的」なものとされている共同体意識は
この農業の仕事が深く関わっているように思えるが
そうした意識自体が漁業的なものを退けようとしているのかもしれない。