http://www.gotoh-museum.or.jp/
上野毛にある吉田五十八設計の五島美術館に赴く。
「古渡り更紗 -江戸を染めたインドの華-」
18世紀初期までに
舶載されたインド製更紗の一群を「古渡り更紗」というらしい。


小堀遠州古田織部武野紹鴎といった茶人たちの慣れ親しんだ茶道具と
その入れ物なども展示してあった。
ごわごわした生地や、ざっくりとした生地、目の荒さが
気に入ったんじゃないだろうか、と思わせるようなものに染めで文様が描かれていた。


風呂敷の包み具合や異国情緒漂う、南蛮から伝来したプリーツ付き陣羽織など
おもしろいものがたくさん見れた。絵画よりもこういう物のほうが
今はおもしろく感じる。



日高敏隆 著


誰もが見たことのあるような動物たちの行動を観察し
なぜ、そう動いたのかを考えていくことで環境、
ひいてはユクスキュル(動物行動学研究家 1864-1944)のいう
環世界について考察していく。


モンシロチョウやアゲハチョウがどのように
活動しているのかを観察することで
客観的世界に対して、それぞれが固有の知覚の枠内で、
イリュージョンとして世界を認識、把握しているという。
科学的な事実や客観的世界と思っていることが、
たびたびイリュージョンとして最適化されたものだということを
日高は、再三にして言っている。


今ひとつ、手応えがなかったというのが、
率直なところだったが私の不勉強のせいだろう。
モンシロチョウは紫外線を見ることができるが、人間は見る事ができない。
人間はラジオ線や赤外線、放射線は見る事はできない。
その代わり、それがあることを知ることはできる。


最近になって、人間は加工食品に、
有害物質が見えるようになってきたことを想起した。
見えないことが、安全であるということなのであれば、
私たちはなんと無防備なのだろうか。







しょっぱいドライブ

しょっぱいドライブ

大道珠貴 著


30歳を過ぎた女と60歳を過ぎた男のニュートラルな男女関係を描く。
女は、老人とデートにドライブに行く中、昔入れ込んでいた男の事を思い出していく。
「しょっぱい」ってどんな時に使うのか思い出してみたが
「しょぼい」、「ださい」、「かっこわるい」とはニュアンスが違う。
なんか、哀れな感じがもっとあるし、塩から連想する汗とか海のような
それでも、一応生き物って感じが表れている。


「しょっぱい」は基本的に残念な時に使うと思うけど
なんとも言いがたい、苦痛を背負った感じが本編にふさわしい感じがする。
「いたい」というのよりも、無常観があるかしら。
最後に前向きに女が老人との関係を捉え直していく所が
どうも、なんか「しょっぱい」



他 富士額、タンポポと流れ星 を含む。