樋口泰人 著


だから、なんだ?というクエスチョンを引っさげながら
映画について書かれている文章を読んでみようと思う。
怠かったので、カサヴェテスの箇所だけ読む。



樋口は、70年代前半に公開された二本の映画、
「ミニーとモスコウィッツ」(1971)と「こわれゆく女」(1975)の間に
隔たりがあると指摘することからはじめている。
写されている対象とカサヴェテスの関係に変化があるという。
実はこのこれは、あとでこれは、どうでもいいよね となっている。


先に結末を書いてみると見通しが立つかもしれない。
希薄さそのものとしてそれらと共にあることの困難さの中に
カサヴェテスの映画はあり、それが彼のレアリスムであるとシメている。