朝日新聞の「声」を興味深く読まさして頂いている。
主張には偏りがあって当然で人それぞれの立場が
その主張を反映している。それだけに画一的になっていた見方が修正されることが多い。


今回、カチンと私に良い音をしてぶつかったものが戦争問題である。
いやむしろ、教育かもしれない。
掲載された声では、子供が「戦争がどんなものかやってみたい」と
言ったことで、いかにして叱るのか そんな大人の責任についてだった。


私たちは、そのうち子供を授かり、教育をしていかなければならなくなる。
そんな時に、戦争をどうやって、教えられるのだろうかと不安になった。
どんな言葉を用意しようとしても説得力がまるでないように感じられるからだ。
これは、思いのほか、ドキッとさせられた。


情報に操作されまいする時代において、
本当に伝えるべきことを伝えるためには、
責任を持って、辛抱強くやらないといけないように思う。


それから (岩波文庫)

それから (岩波文庫)

夏目漱石 著


漱石の文には、ときどき中々想像しにくいが
好奇心をくすぐるような描写が紛れ込んでいる。


「(前略)再び例の画を眺め出した。
しばらくすると、その色が壁の上に塗り付けてあるのでなくって、
自分の眼球の中から飛び出して、
壁の上へ行って、べたべた喰っつ付くように見えて来た。
しまいには眼球から色を出す具合一つで、
向こうにある人物樹木が、こちらの思い通りに変化出来るようになった。
代助はかくして、下手な個所々々を悉く塗り更えて、
とうとう自分の想像し得る限りの尤も美くしい色彩に包囲されて、恍惚と坐っていた。」


泣かない女はいない

泣かない女はいない

長嶋 有 著


電化製品や携帯電話といったメカが私たちの生活になじめばなじむほど
それらによって心に残るシーン、その時代を生きた人たちのストライクゾーンができるだろうと思う。
長嶋の文章は、そんな日常のディテールを発見し上手に忍ばせているように思う。
時には、そのディテールがきっかけとなって、物語が進行する。


友達との帰り道で別れ際の場面での
ヘッドホンを自分の耳に押し込むのが別れの前の儀式
こういうのが出きそうで、出てこない。かゆくもないのに、かゆかった所に手が届いた感じ。


レンタルビデオを延滞し、返却する。
ただ、それだけの日常のワンシーンが
よく観察して描写され、きれいな言葉でまとめている。
前のめりになると、出てこないんだろうな。