桃栗三年柿八年

昨日も五キロジョギングした。
少し、だるくなってきたのだが
仕方がないという気持ちで走る。
冬の夜空は澄んでいて、星がよく見えるのが
実にたのしい。少しでも星座の知識があれば、楽しいのだが
冬の大三角形がどれかも、あやふやで幾通りも三角が見えてしまう。


星座というのは、いいかげんなもので
強引に犬に見えたり、牛に見えたり昔の人は言っているように思っていたが
昨日、心肺がほっかほっかになった状態で空を見上げると
なるほど、星座って概念が生まれそうな気分も分かる。


星には、まとまりが感じられるからだ。
あの辺りの星をまとめちゃおうという気分になる。
そういう群を見つけて整頓しようとした人々に
私のような現代人が共感するところにまた少し不思議な気持ちになる。


でも、その群を動物に見立ててしまうのは、まだよくわからない。
にしても、具体的なモチーフが空にたくさんあるというのは、
なかなか、壮大な歴史のようなものを感じる。
動物の形をしたクッキーが心をくすぐるのは、何も現代人だけじゃないかもしれない。


星座という自然科学については今後少し勉強したい。
冬の大三角形」という言葉になんともいえないかっこよさを感じる。
それは夜空に強い幾何学性を与えているからかもしれない。
具象的なモチーフの中でスパッとサンカッケーがうかんでる。ナイスですね。


音を視る、時を聴く哲学講義 (ちくま学芸文庫)

音を視る、時を聴く哲学講義 (ちくま学芸文庫)


私たちはイメージという言葉をうまく使いこなしているが
それは多くは視覚的なものだと思う。
本書では、音のイメージについて話がされている。


おもしろいのは、曲のイメージは、その曲全体を全部を視るような目があるということだ。
いちいち、あの部分がこうだった、とかそういう風に見ないでも
全体のイメージというのを人は持っている。これは不思議だ。いわれればそうなんだが。


星の煌めきは、何億光年という遠いところの光であり
私たちが見ている光、イメージはその瞬間、「星」自体は消滅している可能性もある。
これは、すごいよね。よく考えれば。


この宇宙のスケールになると、光の速度が身近になってくる。
尿意を催してきたという神経は、もう実は、15年前のものなんだって言われたような
びっくりがある。
インターネットは近年、地球上ではそれほど時差を感じないが
宇宙とインターネットするとなると時差はどうしても出てきそうだ。
光より速いものが必要になってくる。宇宙の膨張速度のような速度が通信では必要になる。
あんまり長い距離になると、摩擦ゼロにするのもとても大変な技術だろうな。


ネットにダイブできるSFが実現したら、何年前の自分の情報かが重要になりそうだ。


ロジャーコーマン 監督作品


向こうでは、「TRIP」がタイトルであることでも
分かるが、LSDでラリってぶっとぶことを映画にしている。


トリップ感を表現するために怪しげな文様を使っている。
脚本がジャック・ニコルソンらしいがLSDで飛んでることをどう映像表現にするかが
ここでは競われたように思う。
ピーター・フォンダデニス・ホッパーというイージーライダーの二人が共演している。


LSDを試した男(ピーター・フォンダ)がオレンジを見て
生命が溢れている。と感動している様子がとてもよかった。
私たちの感性は鈍化していて、鍵をはずすと色々なものが感じられてるようになってくるのかもしれない。
LSDはそうした鍵はずしとして機能しているのかもしれない。


触るだけで、生命が体内に流れ込んでくる感じが
このシーンですごく伝わってきた。
きっと生命の流れは、ひんやりとしていて気持ちのよいものだろうなと想像するも
LSDが、サイケデリックを生んだかは別として
表現スタイルをこうした薬がきっかけとなって現れたのは、とてもおもしろい現象だと思える。
パソコンだから、生まれる表現、
マイノリティだから、生まれる表現
そういうので、後から見れば説明されるのかもしれない。