旱天の慈雨

いつも鞄に入れるようなものたちは、
僕の中でスターティングメンバーであることを
一体、誇りに思っているのかどうか、気になっている。
机上で一同に介したところ、彼らがおもしろいメンバーのように思えてくる。
持ち物たちとは、仲間なんだなと少しばかり打ち解けた気になる。


さて、習慣を身につけるのは、中々大変である。
今日は、勉強が長引いてしまい、ジョギングに行くのが遅れた。
かなり遅くなってしまったが、しっかり五キロ走ったので
今日はがんばったことにしよう。読書をして寝るとしよう。





日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

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女性をめぐって


ルイス・フロイスの書物から」という小見出しを掲げて
この章は進行していく。
女性の地位について、私たちが持っている通説が
果たして適切なのかどうかを考える。


本章は、フロイスというポルトガルの宣教師が書いた「日欧文化比較」という書物を
きっかけにして、その真意を追っていくという構成。
フロイスって誰なんだ。と思うのだが1562年に来日、35年間の生活を経て1597年に死去しており、
主にキリスト教の宣教事業に関わっていた。
織田信長が覇権を持っていた時代の人である。
異国から来日した人々が記す日本の文化は、客観的史実としてとても貴重なようである。
当たり前なことを、変だと思っているから、現代の人が過去を見るのと同じような客観性があるのかもしれない。


「日本の女性は、処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ結婚もできる。」
「(前略)ところが日本では各人が自分の分を所有している。ときには妻が夫に高利で貸し付ける。」
「(前略)日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって名誉を失わないし、また結婚もできる。(後略)」
「(前略)日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている」



などのフロイスの記述を起点として、「女性」は本当にそうなのかと追跡する。
どうも、女性たちは、建前としての男の支配の下にいたとされているが、
実は縦横無尽、ときには聖なるものとして神仏に通じ、金融も賄ってきた。
律令制や家父長制によって女性たちが「抑圧」されてきたことを背景に昨今の女性問題への
通俗的な認識に一石を投じるものだと言える。


戦国時代から江戸時代までの社会における女性のあり方は、通説とは大分違っていることが明らかになっていく。


おもしろいのは、「旅」である。
私たちが思っているような「旅」とは当時は違っていたし、女性や僧の「旅」となると認識が違っていたことに驚く。
「旅人」は世俗の縁の切れた存在である。
道中では中世にさかのぼると、そこで行われた事は、世俗の世界には持ちださない、そこで起ったことは
そこで解決するという慣習があったらしい。
道で起った殺人は、その場で処理し、敵討ちは世俗には持ち込まないという。


「旅人」は、そうした意味あいを持った人だと言える。
道を歩く女性を、現代風に言えば「レイプ」することが、厳しく禁止されているにも関わらず、
罪はそれほど、重くなかったらしい。
それは、「縁」の外がいかに当時、恐れ多いものとして考えられていたかを語っている。


縁が切れる領域としての無縁を危険地帯だと判断し
繋がっている安心感が支配的な力を持った今、いかにして「旅」は成立するのか。
電波の届かない場所にこうした無縁を感じ、
山登りへと向かう人々は、無縁へと誘っているのかもしれない。


レッド・バロン [DVD]

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ロジャー・コーマン 監督作品


彼が最後に監督した作品
しかし、自伝でもほのめかしていたが、コーマンはB級というジャンルに
コンプレックスを抱えており、
この作品は、結構金も使っているため、A級を目指したのかもしれない。
だがお金の使い方があまりよく分かっていないのか
あまり成功しているようには見えない。


スカイクロラを思い浮かべたが、空での戦争が舞台となるため、
大掛かりな舞台装置は飛行機に限られる。
この安い力で高い買い物をしているギャップが空中戦には現れているように思う。
とてもがんばっているのに、効果がチープなのだ。
このチープさを隠そうとしていることが見え隠れし、見苦しい。


飛行機の戦闘シーンが一体どういう状況を描いているのかまるで分からないのに
次のシーンで誰々が死んで悲しいという設定になっていることがしばし興奮した。