神泉

困ったら神泉。
KYと呑み語らう。
KYである彼女と呑むのはこれで最後になるだろう。
いつも彼女を見るとあまりに変わっていないことに
驚くが、今回もそうであった。
相変わらずで、こういう犬見たことあるなと密かに思った。


彼女の新しい一歩について話を聞くことができた。
T大学院への進学が決まったそうだ。すごい!おめでとう。
彼女は前進の年となったようで、色々と新しい風が吹いている。
風がふいている人は表情がいい!結婚前だからかな。
この表情って、出ますね。心境が。
みんな鏡見たほうがいい。


大学によっては収入が少ない人は学費免除となるらしく
その当りが目的ではないにせよ、勇気を得ただろうと思う。
進む為には、羅針盤で進路を決め、マストを張り、風によって進むんだな。
祈祷師もあながちである。


何にしてもお金を理由にするのは、諦めや言い訳を感じる。
彼女には、そこに強い意志がある。
私はむしろ、お金の感覚が必須だと思ってきているので
少し、批判されたような恥ずかしい気持ちになった。
だが、やはり自己経営術はますます必要になると再認識もした。
彼女の純粋な気持ちに感動した。
みんな、ピュアです。本当に。涙
私がとても澱んでいるように感じます。


むちゃくちゃおもしろいことは何か。
この毎度、あまり精度のよくない質問にも
彼女は応えてくれた。ありがたい。
彼女は、退職後、ピアノを買ったそうである。
ピアノである。ピアノ。うーんすごい変な奴がいっぱいいる。
ちょっくらピアノ始めました みたいな。
冷やし中華じゃねんだから。
俺も、クラシックバレエかタップダンスでも始めようかしら。


幸か不幸か、私のまわりには
物を創ることに魅了されている人が多く
ロマンティックである。


事務所を去るときに、ボスから頂いた言葉で
印象に残っているものに
「お前は、事務所史上最左翼だ」
という意味のことを言われた。
これの意味を今は模索している。


共産主義社会主義?スータリン?どゆこと?
数々のロマンティックな人と話すことで
見えてきたのは、明らかにシニシズムニヒリズム
自分が持っていることである。
私はパフォーマンスをとことん嫌っている。
このあたりに、私がもつ問題があるように思う。


なにかを始めるアクションには、そうしたものを
吹っ切るようなドライブ感がある。長くなってきたので
今日はここでやめておく。


北野武 監督作品


KYと話していてこの監督の話になる。
黒澤とたけしの対談がYou tubeで見れる。
何かムショウに彼の映画が見たくなったので早速見に行くことにした。
彼が映画を始めた唐突さはセンセーショナルで
映画も赤ん坊のような自由なものとして私は受け入れたのを
覚えている。そこに何か瑞々しいものを覚えた。


才能のない芸術家とはなんなのだろう。
笑いと芸術、正気と芸術など芸術によって
世界がどんどん融解していく。
絵を描くのが好きなんです。
捕らわれないような絵を描くのがすきなんです。


絵が都市には案外いろんなところにかかっていることを思い出す。
地元の市民ホールにも得体の知れない絵がかざってあるし
しけた喫茶店でも見たことがある
銀行の待合室にも飾ってある。
こういう絵は何なんだろう。明らかに美術館にあるような
絵とは違う。僕が求めているようなものではなさそうだが
少なくともこれは絵だ。
絵ってなんだ。


絵画とよぶより、絵って響きが好きだ。
絵が好きになる映画だったように思う。


東京大学「ノイズ文化論」講義

東京大学「ノイズ文化論」講義


だいぶ、空いてしまった。
元気がでるテレビや電波少年の企画演出を行った土屋敏男
ゲストで招いての対談。


白、グレー、黒が公共の中にあるということを言っている。
グレーはまだ分からない、公共的にありなのかだめなのかが分からないものだという。
そんななかで、白ばかりが横溢してグレーがなくなってきていることに
問題がある。黒は、確かに駄目そうなものなんだろう。
そこはつっこまないで、グレーがやはり問題である。
面白いが引き気味になっているというようなことを言っている。
グレーが漂白されているという表現をしている。
多分ここが、ノイズとかかわりのある項目になる。


資本主義下で成果と報酬を勘定するために
どうもリスキーなグレー部分、僕は面白いエキスのことだと思うが
ここが硬直してしまっていることをいかんと言っている。
このいかんは、儲からないことにもなっていくという意味である。
こうしたテレビのような業界は、面白ければ売れる世界なのだろうか。

ユーチューブをはじめ、世界に映像が発信、受信できるようになると
おもしろいかどうかは、ますます重要なものとなっていく
グローバルに共有できる面白いをハリウッドが実践してきたが
ハリウッドこそ、コストパフォーマンスとマーケティングによって
才能量が減らされてしまっているというようなことを言っている。


考えてみれば、ネットで配信されている映像は黒が平気である。
相当、グロテスクなものだったりエロいもの、政治発言、などなどが
公開されている。こんな中でグレーのバランスはテレビとは大分異なるように思う。
テレビならば、放送ぎりぎりの黒志向がグレーバランスを創っていたが
それは黒がなかったから許されることであったように思う。
挑発では、ネット界でその質は維持しにくいのではないか。
危険なサイトは山ほどあるのだから


芸術家が商業趣味とかお金を毛嫌いするのは、
少し繭を潜めてしまう。
そういう点で面白いがハンドルになって経済がうごいていくと
捉えるとおもしろいように思える。