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黒沢清 監督作品


香川照之小泉今日子 出演


言い当てられた感じが残る現代映画。
すんげーよかった。
映画のいいところは、スケールの大小に係らず
スクリーンのサイズや上映時間は大抵同じことかもしれない。
建築には規模があるため
なんか肝心のものがごまかされているような感じがするのに
映画はそれが強いまんま残る。


この映画は家族を撮影している。
感心したのは、家族が集合しているときの
それぞれ立ち位置の挙動である。うまいなあと思った。
父親が移動すると母親が移動するわけだが
そのバランス、中心の取り方が前半の「家族」が機能しているとき
バランスがとれているのである。これは意識的だったんじゃないかな。
この母のポジショニングに言い当てられた感が特にした。
うちもこうだななどと。


家庭や就労によって束ねられていた人々が
それらを失い、家という枠に
たまたま集合している個人の集まりだと思わせる。
父が権威を失ったとき、父で無くなるわけではない。
私たちはなにかしら肩書きやイメージ、馬鹿の壁のようなもので
それらを拘束して世の中を見ているけど
そういうのって、もっと根源的なところで捕まえてないと
だめなんだなきっと。


2007年問題のように団塊の世代が退職を向かえ
ニートや失業者が増え、高齢者や幼児、外国人が増殖している日本で
働いている日本人が弱者になりつつある。


ドビッシーが最後に浄化なのか、よくわからんが
母、キョンキョンが海で泣くシーン
細かいけど、香川が次男の鞄に対して
重いもんしょってんだなって台詞がよかった。
なんだろうな、すんげー伝わったんだけど、まだわかんないな
涙誘ってんだけど、耐えられたな、俺たくましいな。


最近、当りばっかりひいてる感じがして
なんだか囁かれているのかもしれない。それぐらい感性がビリビリきてます。


これと青山真治のサッドバケーション
日本はすげえ奴がいるねー