超メンテナンス




気分が乗らない時に見ると元気が出ます。
チョットフルイケド
同じ作家のものもいっぱいありますが
先端の技術がアナログを表現しているようなものが
包容力があっていいですね。


ちょっとアップしすぎたけど
Thierry De Meyのパフォーマンスを見ると
自分が音楽だと思っていたものがもっと違うあり方ができる
そんな気持ちになってきます。
雑音というよりもレッキとした音楽として感じる。


あなたの身体は今、なにをしていますかと問われているような
気持ちになる。


朝刊より


超高層の分譲マンションが
07年末までに完成した数は403棟らしい。
容積率緩和、都市再生ブームによって
次々と建立されたことは知ってのとおりだが
数字にすると少ないようにも思える。


築およそ15年で改修工事は行われることが多い。
記事のケースもそれだった。
修繕で3億円、足場代が9000万
準備に2年間、工事に10ヶ月
修繕工事はまだ、業者間での競争が行えるような状態ではない。
やれる人が少ないから安くならない。
建築家に住宅を頼むときは、その当りを詳しく知っておきたい。
新築ぐらい金がかかりかねない。


この足場ゴンドラ代が
高層ビルが建って15年後に高騰するかもしれない。
400棟が同時にメンテナンスが必要な時期を迎えるからだ。
そんなにかかるなら、潰した方がましだったりするかもしれない。
馬鹿にできない。
メンテナンスフリーなんてものは存在しない。


記事の核心は、超高層であるためたくさんの住人がおり、
メンテナンスを行う際に合意を取りにくいという問題だ。
実際、私が住んでいるマンション、中規模程度でも
なかなか理事会でまとめるのは難しいし、集金なんかも難しい問題が多い。
超高層は、大多数で一個のものを共有しているという点で
ますます困難になる。もはや都市でなにかをするようなものである。


たとえば、特別な施設の運用、管理費も折半すれば、大多数なら安く済む。
でもそれは満室であればの話だ。
満室稼動での経営システムは満室じゃない状況が一定期間作られたら
あっという間に不良債権化してくる。
これはどこかで聞いた話ににてくる。


建物がでかくなればなるほど、複雑なメカになればなるほど
メンテナンスはいい商売になるというものだ。
エスカレーターやエレベーターが案外安く入れられるのは
今後のメンテナンスできっちり元が取れるからだ。


じゃあ自分のデザインしたものを自分でしかメンテナンスできないコアエリアが
あれば、仕事があるかというとそうでもない。
だれも注文してくれないだろうからだ。じゃあなんで、エレベーターやマンションは
あほみたいに注文されるのか。発明が持つ特許権のようなもんだろうか。


リーマンショックのように誰も止められないような
将来の不合理が見え隠れする。
超高層ばかり手がけている大手ゼネコンでさえなんらかのダメージは
必須なのではないだろうか。


森ビルを優良企業かどうか判断するのは難しい。
莫大な赤字経営を見込んで次々と自転車操業しようという空中ブランコ
森個人や財閥が持つ莫大な資産を持ってしても
どうすることもできない負債が権力を捻りつぶす。


東京大学「ノイズ文化論」講義

東京大学「ノイズ文化論」講義

Ipodプレゼント。
これに注目しているセンスの良さに脱帽した。
Apple社の製品に群がっている人々は
案外、本来の性能ではないところにエクスタシーを感じていることが多い。
かつては、PC好きな人のアイテムだったと思うけど


Appleを持っていることは、あるイデオロギーへの賛同を意味する。
マイノリティとしてのアップルユーザー、アップル製品は
禁断の果実をカジッテシマったマークが象徴するように
とても宗教的なイコンを持っている。
無意識に刷り込まれたりんごサワーは炭酸でシュワっとしている。
スポンジのようになった脳みそのイメージを牛よりも林檎から想像してしまう。

はみ出し(ステップ・アウト)の文法―敗者学をめぐって

はみ出し(ステップ・アウト)の文法―敗者学をめぐって

松岡正剛山口昌男

今「負け派」の系譜を思い出せ
「死のもどき」を考えるべき日本の企業社会


日本では近代制度を勝ち派の人々が作ってきた。
しかし今こそ、負け派を再考しよう
そういう内容に思う。これは排除された人という意味で宮沢につながる。


松岡は、今後の社会は低エントロピー社会へ向かうといい
勝ち派が持つヒエラルキーによる制度化した構造では負担が多いので
負け派のスタイルが有効だという。


エントロピー社会は縦割り社会ではない、横のつながりや
もしくは縦との情報の共有が早いことだという。
小さな政府といわれているもののことである。小さな政府が負け派という
捉え方がまだよくわからない。


松岡は、負け派というのは、仮死状態をどうやって人工的につくるか
死のもどきと彼は呼ぶが
これは情報の循環をよくすることにつながるという意味で小さな政府であるという。


死者から情報を受け継ぐ。ことで再生する。
死と生の距離がやさしい関係を結んでいるようなことか。
勝ち負け社会を勝ちを否定し、負けを見直すことで批判しているのか。


労働観念のなかから「つとめ」というものがなくなってきている。
「つとめ」ってなんだろう。


快適生活研究

快適生活研究

わーーってしゃべりまくる人の話を聞いているようだった。
適合できない快適さがあるのかしら。
わからん。