弱まっている


政府は景気の基調判断を「弱まっている」に下方修正したらしい。
この基調判断は一体なんなのか。
火傷した時に、一ヶ月後に政府が「あっちー」って発表したような感じだ。
少し笑える。
ああ、やっぱりね というのを確認したいのだろうか。
そりゃ熱いよね。熱湯被ったら。


月例経済報告で示す「景気の総合的な判断」のことをいうらしい。
内閣府が原案を作成し、関係閣僚会議で決定する。
景気の基調判断では、短い文章で景気の現状を明示すると共に、
輸出・生産・企業収益・雇用情勢・消費・物価など主要項目の現状にもそれぞれ言及している。
なお、短い文章でつづる基調判断だけでは政府の真意が伝わりにくいため、
経済財政担当相が記者会見を開き、景気認識をより詳しく説明することが通例となっている。
(http://www.ifinance.ne.jp/glossary/japan/jap052.html)



世界的な金融危機は、独立した経済がないことを教えてくれる。
お金は血液の流れに例えられる。
これまでは、小さな範囲で血液が巡っていたが、世界中の人と身体を共有することで
どこで血が止まっているか即座には分からなくなっている。
日産が米国向けの乗用車の生産量を減らすことになった。
ようするに、アメリカ人買わないっしょってことだろう。無駄に作ると在庫が溜まり、人件費もかかる。
一面には、中国広東省の「世界の工場」と呼ばれる地域の大量解雇が取り上げられている。
ケインズ有効需要の原理によれば、
不況になったとき、価格を下げるのではなく、価格は変えずに生産量を減らすという風に動くらしい。
すると失業者が増え、消費者は消費をしなくなり、ますます工場は作らなくなるという構造をもっているという。


これを打開するには、政府が資本注入をしたり、経済活性化につながるような政策に乗り出す。
一面には、同時に高速料金「終日」半額案とある。
当然、流通しやすくすれば、経済は少し動きやすくなる。
このように連鎖的に記事が繋がって見えるのは、新聞社が描いたシナリオがあるからだろう。


では30面の
69歳女性がベンチプレスで日本記録を更新したという記事はどのような連続を見いだせるか。
一人の人間が例えば定年を迎え、まだ生きられそうだと考えた時
何か始めるだろう。山登りかもしれない、釣りかもしれない、書道かもしれない。
彼女の場合、ベンチプレスであった。
こんなとき、経済がグローバル化していく一方で、
「日本一」は個人の達成する指標には有効なのかもしれない。
国の境界がビジネスでは融解したが、個人には日本一という概念は未だに有効であるだけでなく
手に届く指標となってきた。といってもそう簡単ではないが。


金融危機にふらつく経済を背景に、
重たいものを上げては下ろすその運動が今日同時に報道された。



住まいと家族をめぐる物語 ―男の家、女の家、性別のない部屋 (集英社新書)

住まいと家族をめぐる物語 ―男の家、女の家、性別のない部屋 (集英社新書)

西川祐子の著作

1937年生まれ(71歳)東京生まれ、京都育ち。
京都大学大学院文学研究科博士課程修了、パリ大学で博士号取得。京都文教大学人間学部教授。
専攻はジェンダー論、日本フランスの近・現代文学


日本型近代家族モデルと、住まいのモデルの変遷を見ていく。
大学講義で提出してもらったレポートを紹介しながらフィードバックを繰り返して本書は進む。


「いろり端のある家」
「茶の間のある家」
「リビングのある家」
ワンルーム
西川は大きく住まいの変遷を4つに分ける。
中に入るものたちはどういった役割を持ち、変化していったかを考察する。


1955年に鳩山第一内閣によって
「一世帯一住宅」のスローガンが掲げられた。
敗戦後10年を経て、日本住宅公団が発足した。
焼野原じゃまずいから住むとこ作ろうとなる。
1950年には住宅金融公庫、1951年には公営住宅法が成立しており
1955年になって漸く、戦後住宅政策が実現に動き始める。


住宅公団によって団地が次々と建てられ、住宅の大量供給は実現していく。
住戸数が世帯数を上まわったのは1975年になる。
設計の基本は51C型を基本とした、寝食分離、分離就寝を掲げた2DKであったことで
女性が家にいるという形が建築で実現し、しかも大量に建設された。
一度矯正された家族定義は次にニュータウンへ移ることでどう変化するのか。
しだいに伝統的家族が綻んでいく様子を本書は分かりやすく説明してくれる。


この住居を選ぶときの基準は将来設計が深く関わる。
まだワンルームであれば、いずれ引っ越す仮家なのだが
マンションを購入する段になると
結婚する相手がいるかどうか、子供は何人かと
プランニングがリアルに消費者を悩ませる。
相手の職場、自分の職場が将来不変とは限らないためだ。
家族構成がはっきりしなければ、マンションは中々買えない。
すぐ売って元がとれる保証は極めて低い現在だし。

松山巌 上野千鶴子 山本理顕による対談


上野が言うように住居、家族はあまりに負担をしょいこみ過ぎたのかもしれない。
とても家族では背負い切れない弱者のケア(介護、育児)が家族を疲弊させ、やがて破断する。
アウトソーシングが進むようになり
育児、介護を平気で人に預ける人を冷たいと言う人もいるが
実際ニーズは高く、自らで行うにはそれなりの代償が必要である。
その代償を払えるかといえば、いかがなものだろうか。


福祉の仕事を聞いているとその過酷さは恐ろしいものである。
これまで家族で培養されてきたものを赤の他人が肩代わりする。
そのストレスは甚大なものなのだろう。


終身雇用が崩れ、終身結婚も怪しくなってきたご時世である。
だれもが派遣社員のように都合のいい家族らしきパズルに自分のピースがはまれば
一時的にその家族へ派遣し、家族らしきものを営み
パズルがバランスを失えば、また都合の良い母体を探すのかもしれない。


ボディを亡くした難民である者が逃げ込める場所は家庭ではなくなる。
それがマンガ喫茶だとしてもおかしくはない。そういう時代に思える。


萌の朱雀 [DVD]

河瀬直美 監督作品



こいつはいい映画。
河瀬が27-28歳の時に監督しているもの。
夏休み観が満載の映画である。


田村正毅という方を私は知らなかったが
Helplessを撮影している人らしい。
カメラがいい。
建築の撮り方がいいかもしれない。
ラストの飛んでいってしまう映像は
スケールの小さいものから、大きいものまでをシームレスに繋ぐ映像と言える。


國村隼の美をいくつしむ表情がいい。
小作農民なのに日本人はそれを否定しようとしているように感じる。