所信表明

鬱蒼としたジャングル。
そのジャングルは南米にあるようなものではなく
全ての植物が繁茂するジャングルである。
いわば、「ユニヴァーサルジャングル」である。
ここでは環境というパラメータがカオスなのである。
それゆえ、ある限定された植物は繁茂しないということはない。
全ての植物が環境に適合し繁茂した結果
このジャングルができたのである。

しかし信じられるだろうか。イメージできるだろうか。
全ての環境情報が与えられた場所を。
植物は環境の可視化をしていると言える。
涼しいところでは、涼しいところで咲く花が
湿度のあるところでは、コケが生える。
環境すべてが植物で表現されているのである。


ユニヴァーサルジャングルとはカオスでありながら
環境に忠実なだけであり、例えばある広さを持ったとき
仮に5.10072 ×108 km2だとすれば、
それは「地球」と呼ぶことができるかもしれない。

ではジャングルにおいて
この果実は食べれるかどうか、いかにして判断するだろう。
見た目だろうか。
匂いだろうか。
触った感じだろうか。
少し食べてみてからかもしれない。

もしくは、屋根に葺くには何が適切だろうと判断するだろう。
大きな椰子の葉かもしれない。
樹木の皮かもしれない。
あるいはビニールかもしれない。

少しずつ、自分はジャングルにて法則を見いだし
その野生の罠に満ちたカオスに自分が適合していくことで
生を営むのではないだろうか。
判断力でもって世界を整えるのではないだろうか。

私はジャングルといったときに、野生という言葉を引っ張り出す。
一体、野生とはなんだろうか。
理性と本能という二極化と野生はどのように関係しているのだろう。
未開であることが野生だとは思わない。
都市での文明での野生があると思う。




現在、葉巻にはまっている。
ミースのつもりはない。
葉巻はタバコよりも煙がたくましい。
それゆえにか、煙はなぜこんな形をするのだろうと
煙の形を再発見し
憎たらしくも思う。
青虫が青葉を喰うように
部屋の空気をパクパクと喰っていく煙