考える軌跡

今日も一日中考えていた。
脳が虹色になってくるような感じだ。
いちいち疑問を立て
それを解こうとし、なんらかの答えを導く。


脳は食いしん坊である。
少なくとも私はそう思う。
考える時に発生する電気信号を食べているのである。
電気信号は日常生活を送っているだけでも発生しているはずである。
だが脳には運動野、視覚野、体性感覚野、聴覚野とか
前頭葉頭頂葉後頭葉、側頭葉、小脳とか
なにかしら電気信号にも交通整理がされている。
だから日常的な事をしていたら使われない道路ができてきて
いざその道を使いたいときに道じゃなくなってしまっていると
目指したいところへなかなか行けなくなるように思う。


わたしが、映画を見たとしよう。
そうだな例えば、「紅の豚」を久しぶりに見た。
別になんてことはないのだが、全くこの映画を知らない人に
内容を伝えられるだろうかと、ふと思った。

まず、記憶を頼りに(脳が喜ぶのである)
あの映画のことを思い出してみよう。



時は大戦中。
舞台はイタリア、アドリア海
しゃれた出立ちの豚が主人公だ。
赤い飛行機に乗って賞金稼ぎをして暮らしている。
豚は昔普通の人間だったが
なにかで魔法がかけられ、豚となってしまった。

ある日、空賊と呼ばれる強盗が
旅客船を襲い強盗を計るが
賞金稼ぎである豚は彼らを撃退し、市民を守る。

空賊は豚に手を焼いており、アメリカから傭兵を雇う。
女たちを巡って彼との一騎打ちがこの映画の大枠である。
飛んでいることで、
生きていることを表現している人たちを描いたと言える。

この映画では戦中であることが
飛行機乗りの行う暴力を人間的な営みに見せている


さて、豚はなぜ豚になったのか。
直裁に捉えるならば、ジーナへの思いだろうか。
人は何かにいつも捕われていて
動けないことがあるが、それを豚と表現したと考えることができる。
もしくは、直視しないようにしている気持ちがある人かもしれない。