銀座へ

村松貞二郎の日本建築の歴史を読んでいると
明治時代の建築の一つでも見たくなったのである。

ジョサイア・コンドル設計の旧岩崎邸を
そういえば私は見ていなかったと思い見に行くことにした。
明治時代の洋館を見て今更なにが楽しいのだろうと考えながら
電車に揺られる事小一時間、湯島から歩いて10分足らずに
この旧岩崎邸はある。
幅広のゆるやかな傾斜になっているL字の砂利道を上ると
洋館とビリヤード室は見えてくる。

南面に大きなベランダが張り出すベランダ・コロニアル様式が採用されている。
装飾性が強く、四角い塔の張り出す玄関や外観の装飾はジャコビアン様式を
基本としているそうである。イスラミックな文様なども中では見られた。
村松によれば、コンドルは西洋の様式を日本風にアレンジする際に
このインドやイスラムの様式を採用することで日本の建築に敬意を払ったそうである。
つまり直接日本建築を西洋に変形させずに、媒体をアジアの他の様式を採用していたそうである。

案内人に聞くと上下階とも天井高を4200で設計しているため
広さの割には広く感じないという。
確かにそれはあるかもしれない。寸胴な空間にするのだろう。
部屋一個一個はものすごくでかい。デカイ箱が次々とつながってくる内部は現代では
まず見られないだろう。部屋自体は簡単な形だがその手の込んだ装飾たるや
部屋の大きさとバランスをとるべくすごい密度である。

和館と洋館が当時は二つ敷地内に建てられるのが常であり
洋館は保存されているのに和館は壊されてしまったものが多く
数少ない両方残っているものとして旧岩崎邸は重要であるという。
この別々の二棟が接続されていることで先のスケールがグッと変わるのがわかる
それでも和館のほうは洋館よりの高さと帳尻を合わせようとしているように感じた。


たくさん思うところがあったが、ひとまず2000張り出したベランダの贅沢な余裕は
面白いものであった。さらに青い芝生が目に飛び込んでくる景観は新鮮さがあったが
まだうまく言葉では表現できそうにない。
サンルームがもう少し中心部にまで伸びてくればおもしろいように思った。



次に打って変わって、銀座の坂茂設計のスウォッチのビルを見に行く。
すごい大技をやっていて、泥棒から家を守るプロジェクトを彷彿させるものがあった。
外部と内部の中間状態がこうしたビルが建つ通りにあるのが新鮮であったが
正直、高級感の作り方は常識的なものだったといえるが
エレベーターは中々勉強になるデザインもあった。

すごくおもしろく、すらすら読めてしまった。
テクノロジーが建物を分類していき、そのルーツを明らかにする
そのプロセスはしっくりくるものがある。


スカイ・クロラ
いい作品だった。そのうち書いていく。