割れるような頭痛

割れるような頭痛がする
室外機の振動が多分原因である。
クーラーがないと生活できない人
これを是とするか否とするかは難しい。

騒音という環境問題は私には随分深刻な問題であるように感じる。
マンションだと層状であるため
周囲の音を拾いやすいのだろうか。とにかくうるさい。

建築でも仕上があるのとないのでは
フラッターエコーがでにくくなり、音もクリアになる。
そういう経験があると写真を見るだけで、不快そうだななどと思ってしまう。
音がクリアでない状態を楽しめる心理が私にはないのだろう。



環境はさまざまな尺度が潜んでおり、それを写真で写せないところがおもしろい。
見た目の良さも意匠というよりは、環境因子としてよくなければならない。
ごちゃごちゃしたデザインは不快感がある。
建築はそれらを評価しないといけないと思う。
いらだちからの訴えである。


近隣問題にドキリとした。
粗大ゴミを捨てようとしたら、ゴミ捨て場に既に他のゴミが捨ててあり
それをどかして捨てようとした。もちろん、あとでキチンと整理してだ。
すると、マンションは本当に監視社会だなと感じたのだが、すぐにそのゴミを捨てた人が
注意を促してきた。
苛ついたのだが、一応説明すると了解したのだろう、去っていった。

しかしゴミを捨てる場所は常に公共性があるのではないかと感じた。
他の人が捨てれないような捨て方をしているほうに問題があると
私は思ってしまったのだ、正当化、否定などその循環のあげくに。

持ちつ持たれつ か 対立 か。
社会は、人をなじったり、あげあしを取る人が本当に多い。
私はゴミの件で、正しいことを考えたのかも怪しいのだ。
自分が先に捨てていたらそれほど、小さく分解して捨てたりはしなかっただろうなと思ったからだろう。


環境分野が建築で大きな役割を持つことはこれまで以上に想像されるが
先ほども行ったように尺度はこのとき強烈な存在感を持ち始めるだろう。
不快音を立ててこの尺度は建築を正そうとでもするのだろうか。
それはそれでコミュニケーションができなくなるような気がする。
監視社会では他人と意思疎通が滑らかにできなくなるのかもしれない。