8月前日

友達といってもTTだが
彼からへんてこりんな注文を受けていることを書こう。

彼はよくわからないまま
私にポスターをつくることを投げてきた。
これは間違いなく投げつけてきたといっていいだろう。
私はこれを打ち返さなくてはならない。

作る時になにを考えるかを書くのは
実に楽しい事だ。

ポスターをつくれという命題がある場合
私はなにを考えるだろうか。
テーマからなにかを描こうとするだろう。
文字を選び、そぎ落とさなくてはならない。

飛躍はどこに起こるだろうか。
私は次の三つをまずやってみようと考えた。

1つ目はこうである。
温度を伝えるのである。デザインにはメッセージという方向性のあるものだけでなく
ただ目に映るだけでそのパッケージの裏にある温度が伝わるというものがあるはずだし
少なくとも何をやるのかがわからない以上、抽象的な解決としては理性的な捉え方ではないだろうか。
ただ熱いか冷たいかで一体なんなのかよくわからないもの

2つ目はこうである。
TTから聞いた実体感がない、それでも時折記憶に残るセンテンスを頼りに
メッセージをまとめあげるという方法だ。
ありえない話ではない。なぜなら盲人が象を知るのにどこを触っているか分からないでも
触らないよりは何かを触っていると分かるからだ。
私の狙いは、象をカエルだと、もしくは冷蔵庫だと勘違いすることにある。

3つ目はこうである。
ここではテーマ設定や抽象性は不要であるというやり方である。
ポスターにおいて必要とされていることを
こぎれいにまとめるとこうなるということをブランクで見せることである。
標準詳細だけの状態にするのである。
ただ誤解しないでほしいのは、そうした「無い」みたいなものをテーマにするのは
私には早計だと思うのでそれとは違うのです。

さて最後にだが、まだ一つとしてうまく作れそうにないということも
告白したほうがいい。






ひとまず、3個作った。コミュニケーションは
作る事で始まる。発信しないと相手には何も伝わらないと思い
とにかく作ってみた。













現実感である。ゾクゾクする。

横浜港大さん橋国際客船ターミナルについてである。
つい先日の英国からの客人ともその話になった。

実はこのコンペは早々たる建築家による饗宴であった。
審査員長に芦原義信、副審査員に磯崎新
委員にレム・クールハース、伊東豊雄というだけでも
話題の大きさが分かる。

日経アーキテクチュア1995 3-27号には
コンペに勝利したアレハンドロ・ザエラ・ポロ&ファーシッド・ムサビが
提案したものの魅力についてと
コンペ審査側の政治性を匂わせるような記事が書かれている。
コンペは往々にしてそうであるだろうけれど。

政治性に対する反論を篠原一男が日経に投稿している。
コンペは当初、圧倒的に篠原案が投票面で優勢を極めていた。
しかし突然パタリと篠原案には票が入らなくなったそうである。

その背景には副審査員である磯崎の影響がかなりあったという。
彼はあの場所にシンボリックなもの、モニュメンタルなものは不要だと力説しはじめたという。

そうだなと思わせる指摘である。
横浜にはすでにみなとみらいという汚らわしいシンボリズムを狙ったものが、丹下の美術館もそうかもしれないが
ぎっしり集まっていた。みなとみらいをいくら歩いてみたところで変化の少ない
ひたすら体力だけを消耗させるような非人間的な構成となっている。
あるいは花火大会の群衆用のスケール感なのだろう。
これは錯乱のニューヨークからもポイントが打たれている都市観かもしれない。

そういう意味で大さん橋の形はあの大きさを持ち始めた時
シンボリズムとは異なる存在の仕方をしはじめているのかもしれない。
現にあそこは個人が心地よい場所だと感じれるようになっている。

篠原は自分の建築がシンボリックであると指摘する根拠を問いただすような主旨の文を寄せていた。
非常に難しい問題がここではやり取りされているのである。
私は篠原の建築の良さに共感する一方で、このコンペの判断にもそれなりの妥当性があり
また成功しているように思う。

一方、無名で若い勝者は一部ではOMAの出身者である点を指摘する向きもあった。
アラップと組み、若いながらで明晰に慎重に堂々と自らの案をプレゼンテーションし
そんな日本のドロドロしたものの中で清潔さを保っていたのではないかと記事からは想像する。
若さから来る溌剌としたものを感じた一方でハードな戦いを制したのだなと思う。

ビリビリとした感じの記事である。
都市を言語で説明したときに新しい価値が生まれる準備が整うことがこの記事でよくわかる。