自由が丘

自由が丘にてSMと会う。
時間があまりとれない関係でランチを選択したが
これがなにか僕らにとってはフィットしていたように思う。
いい天気でテラスにでたパラソルが
またいい幅を作っていた。

いつも彼とは白昼にカフェでシダシダと取り留めもなく語ってきた。
そんなシーンがリピートされる。
夜という選択よりも何か合っているのかもしれない。
散歩を挟めたのがまた良かった。
歩きながらよく分からない話をし続けた。

彼が経ただろう時間に反して彼はさほど変わっていなかった。
これが実に不思議である。
彼は5年前の細胞がまだ分裂せず、そのまま今日現れたと言った感じである。
彼を見て学んだことがいくつかある。
人に会う事でようやく私は学ぶのです。

報告ではないそんな時間を友と会う時は
心がけている。
会う事で発生するもののほうを重視したいからである。
完成された態度で友と会ってはならない
そういう風に思った。

話すには時間が足りなかったし
話す以外のことをやるには話す事が多すぎる。
再会はいつもそんなジレンマを抱えている。


途方もなく大きな海が地球にはあると聞く。
その底のほうにある、これまた途方もなく大きな岩陰にくっついている小さな気泡が
なにかの加減でたった一人で浮かんでいってしまう。
もう何にも接する事なく、ただ浮かんでいく。
一人分の空気を上に届けるために
今も一生懸命フルフルと浮かんでいく。